ウイスキー蒸留所をつくる夢。その響きは美しいが、実現までにはいくつもの手強いハードルがある。“お金なし、時間なし、経験なし”という、自称「ないないづくし」の挑戦者、オーナーの坂本龍彦さんが超えた壁は、どのようなものだっただろうか。
ゼロからウイスキー蒸留所を建設する壮大な夢は、土地探しという“はじめの一歩”から難航した。
蒸留所の建設候補地を選定するにあたり、優先されるべき条件は気候風土である。ニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝氏は、ウイスキーづくりに理想的な環境として「冷涼な土地」「湿潤な気候」「奇麗な空気」「豊かで美味しい水」の4条件を挙げている。とりわけ重要なのが水の役割だ。
ウイスキーの製造には、ビールのような醸造酒やジンなどの蒸留酒に比べてはるかに大量の水が必要とされる。第一には、原料としての麦汁を仕込むための水。第二に蒸留工程での温度調整に必要となるスチーム加熱用やコンデンサー冷却用の水。樽に詰めて貯蔵する前の加水にも、良質で安定した水の供給が不可欠だ。さらには、糖化槽や発酵槽やポットスチルなど大型の設備や蒸留所内の製造にも多くの水を消費する。まさに、ウイスキーにとって命綱といえるのが水の存在である。
建設地が決まると、次は各種認可申請の準備に向けた実務に追われる日々が始まる。第一のハードルが税務署に提出する製造免許申請だ。認可を受けるには蒸留所の内部構造から設備内容、年間の事業計画、初年度の製造量見込みなどを提示する必要があり、自治体に出願する建築確認申請と並行して手続きを進めていかなければ立ち行かない。
「実感的に一番大変だったのは、製造計画を立てる段階でしたね。不備があると突き返されてしまうので、ダメ出しされないよう、あらゆる問題を見越して準備する必要がありました。当然のことながら、蒸留所の設計・建築・設備全般のハードにかかわる部分も、同時期にすべて決まっていなければ話にならないので、依頼先業者の選定と契約を同時並行で進めながら。建築許可では自治体のガイドラインに沿った細かい要件以外に、工場の場合は浄水や排水の問題も県の土木課や保健所と協議しなければなりません」
ことウイスキーに限っては、マッシング(糖化)で排出されるモルトの搾り滓の処理方法も課題に上ってくる。クラフトビールの醸造所でもモルト滓の活用法がよく話題になるが、ウイスキーの製造で使うモルトの量は桁違いに多いため、引き取り先や有効活用の方法については「これからの課題でもある」と話す(現在は、長野県内の再生可能エネルギー発電所へ搬入)。
苦労話のあれこれを聞ききながら、どうしても気になってしまうことが一点。ほかならぬお金の話である。
お酒のことを深く知らない人でもたやすく想像がつくとおり、ウイスキー蒸留所の立ち上げには膨大な資金が必要だ。2023年9月現在、国内で稼働中あるいは開業が予定されているウイスキー蒸留所の数は80社以上に上る。うち約半数を2020年代に操業開始の新規蒸留所が占めるが、その多くは酒造メーカーや食品商社を中心とする企業が母体であり、小規模のベンチャー系クラフトウイスキーメーカーの起業は片手で数えるほど。その最大の理由はといえば、資金調達の難しさにほかならないだろう。
建築費や設備費、原料の購入費といったイニシャルコストは当然としても、生産から販売までに時間がかかり、短期的な収益が見込めない点が醸造酒やほかのスピリッツにはないウイスキーの弱点といえる。
なにせ、通常の熟成では最低でも3年、シングルモルトでのボトリングに至っては10年超えが基本形。そんな悠長なリードタイム(所要時間)を前提とする事業では、資金繰りの苦労もさぞかし……と勘繰ってしまうのだが、坂本さんには懸念を晴れやかに笑い飛ばしてしまうような不思議な明るさがある。
「詳しくは非公開ですが」と前置きしながら教えてくれたスタートアップの初期投資の内訳は、「ざっくり言って1割が自己資金、3〜4割が融資と国の補助金(絶賛申請中)、残りは前売契約制による売上」というもの。前売契約とは、ウイスキーをボトルではなく樽単位で販売し、その購買者を前もって募集する“オーナーズカスク制”のことを指す。
「最初から一般流通ではなく、オーナーズカスク制メインの商流を想定していました。もともと潤沢な資金が手元にあるわけではないので、初期投資に生かしたい考えもありましたが、それ以上に本来の自分のモチベーションに一番近い形だという確信があって」と話す坂本さん。
いったい、それはどういうことなのだろうか?
文:堀越典子 撮影:キッチンミノル、坂本龍彦(トップ画像、森の中)