シネマとドラマのおいしい小噺
ただおいしいお茶を飲みに来ればいいじゃないの|映画『日日是好日』

ただおいしいお茶を飲みに来ればいいじゃないの|映画『日日是好日』

映画やドラマに登場する「あのメニュー」を深堀りする連載。第29回は、茶道教室を舞台にした邦画から。四季の移ろいを繊細に投影した、和菓子の数々に見惚れます。

大学生の典子(黒木華)は、従姉の美智子(多部未華子)に誘われ、軽い気持ちで茶道を習い始めた。それから20年以上、典子は師匠のもとへ通い続けることになる。師匠・武田先生を演じた樹木希林の遺作であり、柔らかくも凛とした茶道の世界に浸らせてくれる作品だ。

静かで澄み切った茶室の景色が、季節の移ろいとともに幾重にも積み重なっていく。そしてそこでひときわ存在感を放つのが、四季を表現した芸術品のような和菓子である。

女子大生の二人が、恐る恐る足を運んだ初日のお稽古。袱紗(ふくさ)の持ち方から始まって、見よう見まねで形をなぞるのが精いっぱい。緊張して言葉少なだった二人が和菓子を見た瞬間、同時に「わあ」と歓声を上げた。花びらの形をした菓子器に入っていたのは、あやめまんじゅう。芋を加えて蒸した真っ白な皮でこしあんを包み、その上に紫のあやめの花、緑の茎と葉がすっと線を引かれ描かれている。お菓子の由来など知らなくても、その愛らしい姿を見るやいなや、すっかり心を奪われてしまう。

典子は懐紙の上にのせ、ひとくち噛む。「おいしい」と、自然と笑みがこぼれた。そして茶道ではお茶よりも先に、まずお菓子をいただくものと教えられる。

お稽古に通い続ける典子に、折々につらく悲しい出来事が襲う。ある時はひどい失恋の痛みを心に抱え、大寒のお稽古に臨んだ。用意されていたお菓子は“しぐれ”。あんにもち粉などを加えて練り混ぜ、蒸してひび割れをつくる。ほろっとした食感が優しいおまんじゅうだ。
その真冬のしぐれは、丸く茶色い生地の上部が割れ、中から鮮やかな緑のあんがのぞいていた。色の対比が目にも鮮やか。「下萌え」と名付けられた銘菓である。

「冬枯れの地面から、草が芽吹く様子を表現しているの」

先生の説明を聞きながら、黒文字で口に入れる典子。地面の中で眠っていたようなお菓子の心地よいくちどけと甘さに、自然と頬が緩んでくる。

「いつやめてもいいじゃない。ただおいしいお茶を飲みに来ればいいじゃないの」

典子の心を包むように、先生はゆっくり言葉を続けた。身体の中に下萌えの優しい味が広がる。春はもうすぐそこと待ち望む、遥か昔の人々の気配を感じながら、典子も深呼吸をする。

またある年。梅雨時のお稽古の光景が、ひときわ美しく描かれる。折からの雨が激しさを増し、父との永遠の別れを経験したばかりの典子は、ただじっと雨の音を聴いていた。主(おも)菓子は小さなサイコロ状の寒天を寄せた、紫陽花を模したもの。キラキラと水のように光り、見た目も涼やかな夏の生菓子だ。

「きれい」。典子はうっとりとつぶやく。丹精込められた美しい菓子が、悲しみは時間をかけて慣れていくしかない、そう語りかけているような気がする。

小暑、白露、立冬、お正月。季節は巡り、掛け軸を掛け替え、また同じ季節が巡りくる。繰り返しのようでいて、どの瞬間たりとも同じものはない。まさに一期一会である。

時々の季節に固有の美しさを見出し、その象徴として大切につくられたお菓子をお茶とともに味わう。それがいかに奇跡のような素敵なことなのか。典子の人生に寄り添いながら風に吹かれ鳥の声を聴き、背筋を伸ばしてお菓子とお茶をゆっくりと味わったような、そんな気持ちになる映画である。

おいしい余談~著者より~
しんと静まり返った茶室には、水が滴る音、お湯が沸く音、茶道具が触れ合う音、袱紗を畳む音が響きます。典子が、茶碗に注ぐ湯の音と、水の音の違いに気づいたように、見ていると五感が研ぎ澄まされていくようです。

文:汲田亜紀子 イラスト:フジマツミキ

汲田 亜紀子

汲田 亜紀子 (マーケティング・プランナー)

生活者リサーチとプランニングが専門で、得意分野は“食”と“映像・メディア”。「おいしい」シズルを表現する、言葉と映像の研究をライフワークにしています。好きなものは映画館とカキフライ。