伝統と革新~蕎麦を紡ぐ人々~
「藪蕎麦宮本」天ぷらの流儀

「藪蕎麦宮本」天ぷらの流儀

静岡県島田市にある「藪蕎麦宮本」の天ぷらは、蕎麦に比肩する魅力の持ち主。主人の宮本晨一郎さんがつくり出すのは、蕎麦屋にも天ぷら屋にもない独自の一品。繊細で洗練された天ぷらはどのように生まれるのか。その仕事を覗かせてもらった。

「藪」の伝統を継承する海老のかき揚げ

佇まいはさながら大輪の花。しばし見惚れてしまうのが、「藪蕎麦 宮本」の海老の天ぷらだ。天ぷらといってもいわゆる一本揚げした海老ではなく、5尾が花びらのように円を描き、その上には“めしべ”よろしく細かな天かすがこんもりと盛り込まれている。
箸を入れればサクッと軽快な音を上げ、淡いピンクの海老が現れる。口当たりはふわりとして軽やか。繊細な衣としっとり火が通った海老がくんずほぐれず口の中で舞い、何度食べてもうっとりしてしまう。

「海老をかき揚げにするのは修業先の伝統。それを守っているだけだで」
いつもの朴訥とした口調で宮本さんは言う。
修業先とはかつて上野にあった「池の端藪蕎麦」。“藪御三家“の一角をなす老舗で宮本さんは江戸前の蕎麦屋の仕事を身につけた。そのときに覚えたのがこの天ぷらなのである。

宮本さんによれば、海老のかき揚げは藪を名乗る蕎麦屋のお家芸。同じく藪御三家に数えられる「かんだやぶそば」や「並木藪蕎麦」でも代々受け継がれている。
ちなみに、歴史を繙くと、元来、蕎麦屋の天ぷらはかき揚げかつまみ揚げが本流だったらしい。つまみ揚げとは、海老を筏状に数本並べて揚げた天ぷらのこと。当時、使われていたのは小ぶりの芝海老だったため、何尾かを合わせて揚げる手法が取られたのだろう。江戸後期に記された「守貞謾稿」には「芝海老の油あげ 三、四を加ふ」という一説があり、この「油あげ」とはかき揚げ、もしくはつまみ揚げを指すと言われている。

そんな蘊蓄はさておいて、迷うのは食べ方だ。王道は天ぷら蕎麦だが、酒肴に控える天だねや天ぬきも捨てがたい。味わいも三者三様で、揚げたてをそのまま盛った天だねなら、サクサクとした衣の香ばしさを満喫できる。熱々の汁を注いだ天ぬきはとろんと柔らかくなった衣から油のコクが満面に広がり、その汁がまた酒のアテに最高だ。もちろん、天ぷら蕎麦でしなやかな蕎麦との競演を楽しむのもいい。天ぷらは後からのせるため、衣のサクサク感と汁に浸ったとろんとした舌触りの一挙両得!

「俺は天だねで食べるのが好きだけんど、好みだでね」
と宮本さんが呟く横で、長女のひろみさんが話をつなぐ。
「うちは天ざるもあるので、それを頼んで先に天だねでお酒を呑む方は多いですね。寒い時季は『まずは温まりたい』と天ぬきを注文する方もいらっしゃいますよ」。
迷いは尽きないが、要するにどう食べても旨いのである。

天だね
天だね2,300円は酒肴の一品。海老のかき揚げを添えた天ざる3,100円は、汁も温かくして供す。
天ぬき
天ぬき2,600円は茗荷と三つ葉を薬味に。底にかまぼこも潜み、酒が止まらなくなる。
天ぷらそば
艶やかな佇まいの天ぷらそば2,900円。

では、美しいかき揚げはどのようにつくられているのか。
宮本さんによれば、大切なのは「素材、衣、火加減」の3点。
素材については、かつては修業先に倣い芝海老を使っていたそうだが、入荷が安定しないことと揚げ縮みしやすいため、芝海老に近い味わいの海老を選んでいる。ちなみに、天ぷら専門店で使う才巻の車海老は、弾力が強いため宮本さんのかき揚げには合わないのだとか。
衣は一般的な蕎麦屋の天ぷらよりはかなり薄め。特にかき揚げは厚いともったりしてしまうため、さーっと流れ落ちるほどの薄衣に仕立てている。海老がバラバラにならないかと心配になるほどだ。

一方、揚げ油は、胡麻油とサラダ油を半々でブレンドしている。サラダ油を混ぜるのは、軽く仕上げたいからとのこと。
「揚げる時に気をつけてるのは温度だよ。焦がして苦味が出たらおいしくないじゃん」
という宮本さんの言葉にごもっともと頷いたが、ひろみさんによればその「焦げ」の意味が一般の感覚とまるで違うという。
「父の中には理想の揚がり具合がピンポイントであって、そこをちょっとでも外れたら『焦げ』になってしまう。普通に見たらおいしそうと思える色でも、父にとっては揚がり過ぎ。この感覚は私でも理解できません」

そんな理解不能の領域にある工程を見せてもらうことができた。
調理場のこんろに並んでいたのは2台の揚げ鍋。1台は野菜用、もう1台がかき揚げなど魚介用だ。
「揚げる温度は素材によって違うじゃん。それに同じ油で揚げたら野菜ににおいが移るで、いつも2台が火にかかっているよ」
そう話しながら、かき揚げの準備に取り掛かる宮本さん。
まずは、海老の腹を内側にして頭側と尻尾側が交互になるよう重ね、円の形に整えている。その形を保ちながらお玉に移し、衣を絡めたらそのまま熱した揚げ油へ。勢いよく散った衣が散ったその中央には、海老の一団がしっかりスクラムを組んでいる。

ここからの手捌きは目を見張るばかりだ。散った衣を網杓子で掬っては、海老の上に乗せていく。花のめしべはこうしてつくられていたのか。
頃合いを見て引き上げるまでの時間は5~6分ほど。その間、宮本さんは鍋に張り付き、五感を駆使して理想の揚がり具合にジャストミートさせている。職人技とはこれを言うのだろう。
特に印象的だったのは、衣を溶くときの手元だ。粉を混ぜた後、表面を指先でさっと撫でて加減を確認。「クセだで」と照れ笑いしながら言うけれど、センサー付きの触覚を発動させているに違いない。

かき揚げ工程
かき揚げ工程
かき揚げ工程
かき揚げ工程
かき揚げ工程
かき揚げ工程
かき揚げ工程
かき揚げ工程

出来上がったかき揚げは、ひろみさんや次女の晶代さんとの連携プレーで天ぷら蕎麦や天ぬきなどに仕立てられていく。聞けば、天ぬきの汁は天ぷら蕎麦とは別仕立て。本来、天ぷら蕎麦の蕎麦を抜くから“天ぬき”なのだが、「きれいに仕上げたい」という思いから甘汁(かけ汁)をだしでのばし、吸い物仕立てにしているという。すべてに緻密で隙がない。それが宮本さんの仕事なのである。

天ぬき
天ぬき用の汁は琥珀色の澄んだ色合い。天ぷらの美しさを引き立てる。

定番の穴子や季節を告げる春野菜の天ぷらも出色

宮本さんの精緻な仕事は、定番として品書きに並ぶ穴子の天ぷらからも感じ取れる。仕入れるのは、70~80gの大きすぎ小さすぎずの活穴子。穴子といえば江戸前の魚介の代表格ではあるが、信頼する神奈川県の問屋に、産地を問わず、その時々でよい品を送ってもらっているそうだ。
盛り付けにもポイントがある。1尾を半分に切って海老より少し濃い衣で揚げたら、頭に近い方はふっくらした味わいを楽しんでもらえるよう身を上に。逆に、尻尾のほうは皮を表にし、カリッとした香ばしさを強調する。もちろん、その違いは見た目の美しさのためでもあるのだろう。

穴子の天ぷら
穴子の天ぷら2,500円。天つゆとともに塩が添えられる。

こうした定番に加え、1月下旬から3月の初めには春野菜の天ぷらもお目見えする。内容はその時々で替わり、この日はふきのとう、こごみ、たらの芽、うどなど山菜尽くし。毎年、この天ぷらを心待ちにする常連客は多いそうだ。

さらに、初夏の頃には蚕豆の天ぷらも登場する。生の蚕豆を薄衣でカラッと揚げ、塩で食べると止まらなくなる。しかも、皿に盛り込むのは蚕豆だけという潔さ。旬の味覚をたっぷり味わってほしいという気持ちの表れだ。

壁の張り紙
壁の張り紙が季節の到来を告げる。
春野菜の天ぷら
高温でカラッと揚がった春野菜の天ぷら2,800円でまずは一献。〆にざるそば1,100円を手繰れば春ならではのミニコースになる。

ちょっと意外だったのは、季節の天ぷらとして供しているのは春野菜と蚕豆の二品だけという点だ。その理由をひろみさんはこう話す。
「一時期、蕎麦屋の四季を楽しんでもらおうと旬の食材をいろいろ揚げたこともあったんです。たとえば、夏ならメゴチやキス、冬なら牡蠣とか。でも、父は自分がおいしいと思わないとやめてしまう。せめて筍やとうもろこしの天ぷらぐらいは出せたらいいのにと思うんですけど、『やり過ぎは野暮になる』って」

宮本さんの判断基準は粋か不粋か。ボーダーラインがどこにあるのかは想像つかないが、それもまた「藪蕎麦宮本」の天ぷらの流儀であることは確かだ。

店舗情報店舗情報

藪蕎麦宮本
  • 【住所】静岡県島田市船木253‐7
  • 【電話番号】0547‐38‐2533
  • 【営業時間】11:30~14:00(ただし売り切れ仕舞い)
  • 【定休日】月曜日(祝日の場合は翌日)ほか不定休あり
  • 【アクセス】JR「六合駅」より車で10分

文:上島寿子 写真:岡本寿

上島 寿子

上島 寿子 (文筆家)

東京生まれで、銀座の泰明小学校出身。実家がビフテキ屋だったため、幼少期から食い意地は人一倍。洋酒メーカー、週刊誌の記者を経て、フリーに。dancyuをはじめ雑誌を中心に執筆しています。