旅行作家の石田ゆうすけさんは、世界を旅した時に訪れたミャンマーで、天ぷらによく似た料理に出会いました。日本の繊細なイメージとは異なり、原始的なスタイルでつくられた「天ぷら」の味とは――。
天ぷらをつくるのが難しいと思ったことはなかった。
学生時代、鶏料理専門店で調理補助のアルバイトをしていたが、衣づくりから揚げるところまでなんの苦もなくやっていたし、家に友人を呼んでつくっても店と同じ天ぷらができ、友人たちにも喜ばれた。天ぷらは難しい、という世間の常識は正直、ピンと来なかった。
ところが、20代半ばから海外に出て長年放浪したあと、オッサンになって日本に帰り、改めて天ぷらをつくるとなぜかうまくいかない。衣がサクッともカリッともせず、べちゃっとして油っぽい。中年の脂っぽさが調理に影響するのだろうか、という冗談はさておき、ほんとに難しいんだな、と思い、それからはネットで調べながらいろいろ試してみた。衣の配合や混ぜ方や油の温度などに心を砕くだけでなく、衣にマヨネーズを入れたり、酢を入れたり、酒を入れたり、と裏技系もあれこれ取り入れた。「ほんとにサクサクになりました!」といった実践者のレポートを読むたび、今度こそ大丈夫だろう、と思って試すのだが、なぜか一度もうまくいかない。何が本当かわからなくなり、出口が見えない状態だ。考えすぎるからよくないのかとさえ思えてきた。
ところで、天ぷらはポルトガルから伝来したという説が有力なようで、実際、同国では天ぷらに似たインゲンマメの揚げものを食べたが、衣はふにゃふにゃだった。
英国のフィッシュアンドチップスのフィッシュも小麦粉をといた衣をつけて揚げたものだが、あれも天ぷらというよりフリッターといったほうがしっくりくる。
僕が旅したなかで天ぷらに最も近かった料理は、ミャンマーにあった。
訪れたのは2019年だから、あのクーデターの前であり、民主政権下で活力と自由な空気が国じゅうに溢れていた時期のことだった。
ある村に着いたとき、一人のおばさんに目が釘付けになった。中華鍋で何かを次々に揚げているのだが、その様子がちょっと変なのだ。地面に中華鍋を置き、おばさんは地面に胡坐をかいて座っている。中華鍋の下を見ると、地面を掘ってつくられた溝があり、薪が燃えていた。
サツマイモにカボチャ、小エビととうもろこしのかき揚げなど、天ぷらにそっくりな料理が大きな竹ザルにどんどんのせられていく。高度で繊細な技術を要する天ぷらがこんな原始的なスタイルで上手にできるのだろうか。自分の数々の失敗を思うと懐疑的にならざるをえなかった。じっさい揚がったものを見ると、ベタベタしていて重そうだ。
腹も減っていないので味見だけしようとサツマイモを指差し、これをひとつください、とジェスチャーで示すと、おばさんはニコニコ笑いながら、竹ザルの上の全種類の天ぷらを皿にのせて渡してきた。わわ、こんなにいらないよ、と慌てたが、まわりの客を見てもどうやらセット売りが基本らしい。仕方なく食べてみると、カリッと衣が散り、あれ?――さらに噛むと、衣が小気味よく砕けていく。驚いたことにサクサクと軽やかに揚がっているのだ。
「衣には何が入っているんですか?」と聞きたくて仕方がなかったが、英語を話せる人は、調理人のおばさんを始め、誰もいなかったし、現地でコツコツ覚えたミャンマー語の僕の語彙ではそこまでの質問はできず、結局「アヤンカウンデー(とてもおいしい)!」と笑顔で言うしかなかった。
日本でも天ぷら屋に行くと、料理人たちはたいして神経も使わず、パッ、パッ、といい加減に油に放り込んでいるように見え、「なるほど、手早くやればカラッと揚がるんやな」などといつも勘違いしてしまうのだが、このミャンマーのおばさんの様子はそれより一層僕を楽な気持ちにさせてくれた。なにせ、胡坐をかいて薪の火で揚げているのだ。
やっぱり考えすぎていたからダメだったんだ。ナーバスにならずに、若い頃やっていたように適当に揚げるのがたぶん、正解なのだ。
そんなイメージを抱いて帰国し、気楽に天ぷらを揚げてみると、相も変わらずベチャッとなる。あるいはもっさり重くなる。何度やってもうまくいかないし、最近は油も高いので、すっかり揚げものをしなくなってしまった。
でも、この原稿を書きながらあのおばさんの様子を頭に浮かべているうちに、またしてもできそうに思えてくるのだ。こうやって天ぷらの“沼”にはまっていくわけだが、ようし、今晩あたりまたやってみよう。ズブズブズブ……。
文・写真:石田ゆうすけ