大阪・ミナミ。大阪木津卸売市場にある「大衆食堂 当志郎」は今日も、市場に出入りする人たちで賑わっている。働く人たちを支える食堂で、とびきりのネタや毎日食べたくなる味と、昼呑みの愉悦。
まだ外は暗い朝4時半。大阪・ミナミ「大阪木津卸売市場」には、市場関係者が行き交い、静かなる活気を漂わせている。市場の西側にある「大衆食堂 当志郎」に暖簾が掲げられてすぐ、長靴に作業着姿の男性客がやってきた。
ミナミにある大衆居酒屋の番頭、通称・正宗さん。その名にピンとくる左党も多いだろう。
「正宗さんは25年間、毎日ぴったり4時半に来てくれんねん」と話すのは「当志郎」の三代目・岩間伸五さん。カウンター中央の定位置に腰をかけ「何あんの?」と正宗さん。「今日のイワシはめっちゃえぇですわ」「ほなそれと、いつものやつ。冬は絶対、粕汁やねん」。
湯気立つ粕汁をハフハフやりながら、分厚いイワシの煮付けを頬張り、白ご飯をかっ込む正宗さん。「このイワシ、香りあるなぁ」。「正宗さん、今日のんは千葉もんですわ」「えぇエサ食うてるんやろう。旨いわ」。なんてことないやりとりが、早朝のいつもの光景だ。
正宗さんは、食材の仕入れを終え「当志郎」で朝食兼夕食を済ませる。店に帰り仕分けや仕込みをしたなら、朝11時、料理人に引き継ぐという。「もう45年以上、普通の人とは真逆の生活をしてますわ」と正宗さん。曰く「当志郎は、自分の生活のなかの一部やね。伸五ちゃんがつくる料理に、当たり外れはない。“当たり”ばっかりや」。
正宗さんの逸話だけで、この記事が成り立ちそうだが「当志郎」の歴史も深い。昭和25年、伸五さんの祖母がこの地で創業。「祖父は市場の八百屋のセリ人でした。そして祖母は、独学で飲食の道へ」。
素人がゼロから始めた食堂だから「当志郎(とうしろう→しろうとう)」。その店名には「志を当てる」という信念も込められている。アメリカンドリームならぬ、浪速ドリームだろう。先代は勤勉と努力により繁盛店を築き、今は伸五さんと奥様・桂子さん夫婦がバトンを受け継ぐ。
「マグロはこっちのマグロ屋やから、青背はあの魚屋……。ありがたいことに木津市場は、ウチの冷蔵庫みたいなもんや」と伸五さんが言うように、長年付き合いのある場内の業者から、とびっきり鮮度の良いネタが届く。
冷蔵ケースには、造り盛合せやジャコおろしなど、少数精鋭のおかずが並び、カウンター上にせり出した棚には、煮付けや焼魚など、見るだけで食指が動く魚料理の数々。
朝のワイドショーが流れ出す頃には、就寝前に腹ごしらえをする飲食関係者の姿も。「仕事帰りにこの店へ来たら、自分自身がリセットできるんです」とは、ミナミでバーを営む福田さん。缶ビール3本目を飲りながら、伸五さんがサッと出した肴をつまんでいる。「いつも決まって、この後は煮付けとご飯大、味噌汁やな。伸五ちゃんのサバ煮を、ツヤッツヤの白ご飯にバウンドさせる。これが最高なんや」。
そのサバ煮は、漆黒の煮汁を纏う。「亡き親父が考えたレシピを忠実にコピーしてたんやけど。テレビで観た、真っ黒い銀ダラ煮付けが旨そうやって、“オレのサバ煮”に改良したんですわ」。
濃口醤油とたまり醤油、ザラメを加えて煮付けて、水飴で照りを出したという。分厚い塊に箸を入れると、身の断面は真っ白。煮汁は濃厚ながら、程よく脂ののったサバの旨みがしぶとく主張する。結果、ビールと飯茶碗が行ったり来たり。
「伸五ちゃんとは30年来の親友」ご常連、フードメディアプロデューサーの平井直人さんは、「マグロ造り、サバ煮、オムレツ、冬は粕汁が最高。そして、酒飲みには嬉しいご飯の頼み方が“小の小”。飲んだ後に白飯をちょっとだけ、そこにサバ煮汁をかけたら最強なんです!」
親父の代からガラリとレシピを変えたサバ煮について、平井さんは「伝統は革新の連続ということを、大衆食堂でも痛感しますよ」と、目を細めながら「当志郎」への愛を語ってくれた。
昼前には、観光客や近所で働くビジネスマンなどで賑わいを見せはじめた。写真付きメニューを指差しながら、オーダーする外国人客の姿も。
「昔は常連さんばかりやったけど、今はウチの店をめがけてきてくれる観光客や外国人客も多いですよ」。
その品書きには、本マグロ中落ち丼など、質も鮮度も抜群の丼ものをはじめ、肉吸い、肉巻きといった大阪のローカルな味も揃う。カウンターだけの小さな店内は満員御礼。皆それぞれが、目当ての味を幸せそうに頬張っている。
お客さんの中には、市場の漬物屋で働く、100歳の母と70代の娘さんの姿も。「当志郎さんには毎週2回は必ず伺いますよ」と、生涯現役!のお母さんは、定食をしっかりと平らげていた。
「時代の流れとともに、客層も変わってきた。せやけど、毎週のように来てくれるお客さんもいらっしゃる。そこは僕なりに両立させていきたいですね」。
そんな常連さんの気持ちを考えると……と伸五さんは呟きながら「毎日食べられる“飽きへん味”を作り続けることができれば」と、笑顔を見せる。
これからもずっと、市場を闊歩する仕事人たちを、支え続けて欲しい。
文:船井香緒里 撮影:竹田俊吾