世界の○○~記憶に残る異国の一皿~
純粋に豆腐の美味しさを味わう麻「辣」豆腐|世界の豆腐料理①

純粋に豆腐の美味しさを味わう麻「辣」豆腐|世界の豆腐料理①

自転車で世界一周旅行を達成した石田ゆうすけさんは、中国に入った際に「麻辣」豆腐を食べました。日本ではポピュラーな「麻婆」豆腐との違いとは――。

涙が出るほどの旨さ

中国の現地の料理に詳しい日本人旅行者に会い、お薦めの料理をいくつかノートに書いてもらったところ、その中に「麻辣豆腐」があった。マーラードウフと読むらしい。
「麻婆豆腐じゃないの?」
「いや、麻辣豆腐」
肉なしの麻婆豆腐だそうな。
なぜ「麻婆」じゃなく「麻辣」なのか。それは聞かなかったが、のちのちわかることになる。

数日後、中国に入り、最初の食堂でこの麻辣豆腐を食べたらぶっ飛んだ。"醤"系の発酵調味料が複数組み合わさったと思しき深み、花椒と唐辛子の2種類の辛味、ゴマ油のコクと香り、スープの旨味、豆腐のなめらかさと涼やかさ等々、味の要素がやたらと多く、それらが複雑に絡みながら「おいしい」に向かって一気呵成に突き進んでいく、そんな印象を持ち、その頼もしさにげらげら笑いたくなった。それを肴にビールを飲み始めると、笑いを通り越して、「こんな幸福があったのか」と涙が出てきたほどだった。

涙はいくらなんでも大げさだろうと思われた方、僕が旅したルートを同じように自転車で旅するといい(しないだろうけど)。アジア大陸を西から東へ、ヨルダンやレバノンなど中東諸国に寄り道しつつ、イラン、中央アジアを通って中国、そして日本。このルートだと中国に入るまでずっとイスラム圏なのだ。それらの国々では飲酒がタブーだからか外食産業に活気がなく、飲食店の数も料理の種類も極端に少ない(注①トルコを除く。注②あくまで大衆食堂に限った話で、家に招かれて出される料理には豊かな食文化の片鱗が見える)。
そんな地域を8ヵ月旅したあと、中国に入ったのである。飲食店の数に圧倒され、メニューを開けば大量の料理名に狂喜乱舞、食べれば味を構成する要素の多さ、つまり味の複雑さにぶっ飛んだ。あの衝撃はいま思えば、イスラム圏の外食の料理の味がどれもシンプルだったからだろう。

ただ、そういった特殊な事情がなくても、麻辣豆腐は旨い料理に違いなかった。挽肉がなく、メインが豆腐だけなので、調味料や香辛料の織り成す妙味がより集中して味わえ、豆腐との絡みに惚れ惚れする。なんとも清々しい味だ。またこのときは世界旅行中で、豆腐を最後に食べたのが2年ほど前だったこともあって、豆腐自体の旨さにもしみじみ感動した。

その後、中国を旅していくうちに奇妙なことに気付いた。麻辣豆腐のほか、厚揚げと野菜を炒めた「家常豆腐」はだいたいどの食堂にもあるのだが、麻婆豆腐は全然見当たらないのだ。
これは訪ねる地域で変わるのかもしれないが、広大な新疆ウイグル自治区から旅を始め、かつ、安食堂でばかり食べていた僕が最初に麻婆豆腐を見たのは、中国入国から1か月以上もたってからだった。

麻辣と麻婆は、字はそっくりだが、まったく異なる意味を持つようで、麻辣豆腐の「麻」は花椒の痺れる辛さ、「辣」は唐辛子の辛さ、つまり「麻辣味」という味付けを意味する一般名詞なのに対し、麻婆豆腐はよく知られているとおり、四川省で食堂をやっていたあばた(麻)顔のおばさん(婆)が開発した料理で、つまり「麻婆」は個人を差す固有名詞だ。そのため「麻婆」には商標の問題があり、各店とも使用を控えている......というのはまあ、あの国では考えにくいから、単にコスト、あるいは味を追求した結果として、麻辣豆腐が大勢を占めるようになったのだろう(麻辣豆腐に魅了された僕としては味による面も大きいと考えている)。

それなのに日本では麻辣豆腐の認知度はきわめて低い。麻婆豆腐を食べたことのない日本人って限りなく0%に近い気がするけれど、麻辣豆腐を食べたことのある日本人って0.1%もいないのではないか。これは実にもったいないことだ。純粋に豆腐の旨さを楽しむなら麻辣だろう。騙されたと思って一度、挽肉を入れずにつくってみてほしい。
......と言いつつ、僕自身、帰国してから麻婆豆腐は何度もつくったのに、麻辣豆腐は一度もつくっていないんだよなあ。やっぱ入れちゃうよね、挽肉。

追記。
トップ画像の写真撮影のために麻辣豆腐をつくってみました。食べてみると中国で初めて口にしたときの感動が鮮明に蘇ってきたのでちょっとびっくり。いや、やっぱ旨いよ。豆腐のおいしさが前面に立っていて、麻婆豆腐とは別の料理という感じがします。中華料理も"引き算"って大切なんだなあ。皆さんもぜひ。

文・写真:石田ゆうすけ 

石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。