旅行作家の石田ゆうすけさんは、自転車での世界一周旅行をしていた際、予定よりだいぶ遅くなり、冬のアメリカのとある高原に入りました。そこで命の危機を感じるほどの極寒の夜を経験し、感じたこととは――。
自転車で世界を旅するというと、途方もないことのように思われる方も多いが、普通の旅行とそう変わらない。ただ移動手段に自転車を使っているだけだ。冒険でもなんでもない。おまけに地球のサイズは測ったように自転車向きなのだ。極寒の地アラスカを夏の気持ちいい時期にスタートして南下すると、ちょうどメキシコや中米などの酷暑地帯が一年のうちでは最も過ごしやすい冬になっている。そのまま南米に入り、冬のうちに赤道を越え、再び南下すると、南米大陸先端部の寒冷地パタゴニアに入る頃にはまた夏の過ごしやすい季節になっているのである。つまり地球を縦に走れば、常にベストシーズンを追いかけることになるわけだ。地球の歩みが自転車と合っている、そんなことを感じながらペダルをこいでいた。
ただ、それはまじめに走ったときの話で、僕はあちこちで怠けた。気に入った場所を見つけたり友人ができたりすると何日も同じ場所に滞在した。おかげで秋口に着くはずだったアメリカの「コロラド高原」に入ったのは12月もだいぶ過ぎてからだった。
高原といっても見た目は赤茶けた荒野で、日本の国土並みの広さがある。標高は1500m~3500m。当然寒いのだが、そこへ記録的な寒波がやってきた。高気圧が張り出しているおかげで雪はそれほど降らなかったが、いつ天候が崩れ、雪に閉じ込められるかと思うと気が気ではなかった。
自転車のバッグにつけている温度計を見ると、日中は-13度まで下がった。上り坂は体が温まるのでまだいいが、下りは地獄だ。紙やすりでこすられるように手足の先や顔が痛くなる。靴は軽登山シューズで、手袋も20ドルの安物だった。氷点下でのサイクリングなど想定していなかったのだ。
3分ほどで痛みに耐えられなくなり、自転車をとめて手袋を脱ぎ、指先をこすって温めた。それから靴を脱ぎ、爪先を手で強く握って血を通わせる。そんなことを3分おきに繰り返すのがじれったくなってきたので、靴と手袋にスーパーのレジ袋をかぶせ、手首と足首のところで縛ってみた。情けない姿だが、これが想像以上に効果的で10分ぐらいは連続で走れるようになった。
日が暮れると荒野にテントを張った。意地になってキャンプを続けている。どのぐらい耐えられるだろう、とこの期に及んでも心のどこかで楽しんでいたのだ。
だが、笑えない夜が一度あった。
寒さに目が覚めると、唇が冷たくなっている。時計を見ると午前2時。温度計は-15度だ。テントの中は外気より5度ほど温かいから外は-20度ほどだろうか。
僕の寝袋は3シーズン用だ。持っている服を全部着込み、口と鼻だけ出して頭まですっぽり寝袋をかぶり、足のほうはバックパックの中に突っ込んでいるのだが、気休めにもならなかった。凍りついた鉄板が体の上からのしかかってくるようだ。鉄板はどんどん重さを増して、次第に息苦しさを覚え、寒さは痛みに変わっていった。その痛みに気が遠くなるほど長時間耐え、そろそろ朝が近いんじゃないかと期待しながら時計を見ると、まだ3時にもなっていない。頭がくらくらする。なんて長い夜だ。やがて寝袋の中でガタガタと体が震え始め、歯の根が合わなくなってきた。
気温が一番下がるのは明け方だ。空が白んできた頃、寒さの圧力に意識が途切れがちになってきた。眠ってしまうとまずいと思い、「もうすぐや、もうすぐや」と声に出しながら意識を保つ。しばらくして朝日がテントに当たり始めたときは「助かった」と心底ホッとし、寒さがゆっくりやわらいでいくのを、寝袋から唯一外に出している鼻先と唇で感じていた。
震えの止まらない体を起こし、食材をかき出すと、すべてが壊滅的に凍りついていた。キャベツやタマネギはナイフを入れると、ロウ細工のようにガシャガシャと崩れ落ち、チーズは劣化した消しゴムのようにポロポロと砕けた。
フライパンにバターを入れて野菜を炒め、砕けたチーズをまき、その上にプラスチックのように凍って硬くなった食パンをのせる。パンに熱が伝わってやわらかくなったら、それをふたつに折って野菜とチーズをサンドし、かぶりつく。頬の内側に熱がヒリヒリと伝わり、もしゃもしゃ噛む音がいやに賑やかに鳴った。温かい食物が甘みを広げながら喉の奥へと運ばれていく、その一連の動きが目に浮かぶようだった。
熱い紅茶を飲み、ようやく人心地がついた。
太陽がさらに上がり、大地を覆っていた霜がキラキラ輝き始めた。
オレンジを取り出すと、野球の硬球のように硬くなっていた。ナイフで房を切り取りながら口に入れる。まるでシャーベットだ。噛むとシャリシャリという音が顔のまわりで鳴った。凍った果肉が口内で溶けて、甘みが浮かび上がる。あらゆる刺激が、火花が散って光るように鮮やかだった。
一心にオレンジを食べながら、自分が小さな虫になったように感じていた。とりとめもなく広がる大地の上に、ボールペンで打った点のような、このちっぽけな命が、なんだか不思議だった。指や口が絶えず動き、光を浴びて熱を感知していることがひどく奇妙なことに思え、世界のすべてが輝き始めたこの朝の時間を、体中の細胞ひとつひとつに染み渡らせるように味わっていた。
文・写真:石田ゆうすけ