2022年10月号の特集テーマは「きちんと美味しい 炒め物」です。旅行作家の石田ゆうすけさんはイスラム圏から中国に渡った際に、その外食文化の違いに驚いたといいます。世界一といっても過言ではないほどの数を誇る、中国の飲食店を楽しむコツとは――。
前回は文字数が多くなったので書ききれなかったのだが、外食産業が寂しいイスラム圏の中東及び中央アジアを8ヶ月あまり旅したあと、中国に入ったときは、飲食店の多さに仰天すると同時に、もうひとつ驚いたことがあった。料理の多さだ。メニューを開けば携帯電話の約款の項目かというぐらい漢字がびっしり並んでいる。毎日通っても2、3ヶ月ぐらいは違うものが食べられそうだ。店の数も品数も極端に少なく、毎日同じようなものを食べていたイスラム圏と、店の密度も食堂の品数も世界一かもしれない中国、それら凍土帯と熱帯ぐらい違う真逆の世界が隣り合わせになっていて、国境をポンとまたぐだけで冗談みたいに世界が変わるのだ。陸路で国を越えていく旅は本当に面白い。
中国では田舎町の寂れた食堂でもメニューにはたくさんの料理名が並んでいて、彼ら中国人の食への執念を思ったが、同時に、炒めるという調理法がこれだけのバリエーションを生んだのだろうなとも思えた。田舎の食堂の料理は大半が炒めものだった。
さて、中国滞在も1ヶ月を過ぎ、中国語も旅で使う会話ならそこそこできるようになっていたある日、ふたりの自転車旅行者と会った。フランス人の学生で、1年かけて自転車で世界一周しているのだという。このとき6年以上自転車で旅していた僕は「1年でできるの?」と驚いたが、バスを使いながら飛び飛びに走るということらしい。
方向が同じだったので、3人で一緒に走り始めた。話していると気持ちのいいやつらだった。学生時代にこんな経験ができるなんて素直にうらやましい。
夜も同じ宿に泊まり、晩飯も一緒に食べにいった。そのとき、ちょっと驚くような事実を聞かされた。彼らは毎日フライドライスばかり食べているというのだ。
田舎の食堂には英語併記のメニューなんてまずないし、店の人には英語も通じない。メニューの漢字を覚えるしかないのだが、フランス人の若い彼らに馴染みのある中華料理はフライドライスだけだったようで、英語を話せる人にその漢字を聞いて、なんとか「炒飯」という文字だけ覚えたらしい。
食堂の品数が世界一多い(かもしれない)国で、何をやっとるんだ君たちは、と思わずにはいられなかった。異国の食堂で何を頼んでいいかわからないときは、まわりを見渡し、現地の人たちが食べている料理から旨そうなものを選んで指差せばいいのだ。客がいなくて言葉も通じなければ、メニューに並んだ文字のひとつを勘で指差せばいいのだ。何が来るかわからないから面白いではないか。
そのことを言うと、彼らは感心したように僕を見る。旅を始めたばかりの彼らは、いままさに旅の仕方や要領をせっせと習得中、ということのようだった。
ようし、じゃあ今日はお兄さんが中国メシの無上の喜びを教えてあげよう。僕はすっかり先輩気取りで、「魚香肉絲」(肉と野菜の細切り炒め)、「宮爆鶏丁」(鶏とピーナッツの炒めもの)、「西紅柿炒鶏蛋」(トマトと卵の炒めもの)、「家常豆腐」(厚揚げと野菜の炒めもの)、「酸辣湯」、そしてビールを頼んだ。スープの「酸辣湯」以外はやはりすべて炒めものだ。
彼らは次々に運ばれてくる料理に色めきたち、ビールを飲みながら若者らしくガツガツ食らった。中国の炒めものとさっぱりした中国ビールの取り合わせは、貧乏旅行者にとって極上のマリアージュだと僕は感じているのだが、炒飯ばかり食べていた彼らはそのマリアージュの快感もいま初めて知ったようだった。僕が中国に入った初日に料理の数に驚き、飲んで食べて幸福のあまり泣きそうになっていたあのときの様子を、彼らはいま僕の目の前で忠実に再現してくれているのである。
彼らを見ていると日本人でよかったなと改めて思ってしまった。漢字を知っている分、世界指折りといっていい食天国の食事を、彼ら西洋人よりずっと堪能できるんだから(でも実は意外と料理名の漢字を見ても大半はチンプンカンプンなんだけど、ただ、一度中身を知ればどの漢字がどういう料理かを覚えるのは彼ら西洋人よりはずっとたやすかったわけです)。
各種料理に唸りながら、彼らは僕に敬愛の情がこもった眼差しを向けてくる。僕はまさしく漢字を知っているというアドバンテージだけで、子供たちから慕われていると思い込んでいる少年野球の監督のようにワッハッハとふんぞりかえっていたのだった。
文・写真:石田ゆうすけ