2022年9月号の特集テーマは「美しいカレー」です。旅行作家の石田ゆうすけさんは北インドを旅した時には、日本で言う“映える”ようなカレーには出会わなかったようです。しかし、思わず見とれてしまう“お皿”に出会いました――。
インドはきれいか汚いかといったら、たぶんまあ汚いだろう、という漠たる先入観が僕の中にはあって(インドの皆様すみません)、実際入国してみるとだいたいその通りだったのだけど、しばらく旅をしていると、不思議ときれいな印象へと変わっていった。たとえばチャイの素焼き茶碗だ(今はずいぶん減ったと聞くけれど)。
手で成型された一つ一つ形の違う小さな素焼きの茶碗で、人々はチャイを飲み干すと、店の前に投げる。茶碗は地面に落ちて、簡単に割れる。店のまわりには乾いた土色の破片が散乱している。破片は風雨にさらされ、土に返っていく。人の営みと自然の大きな循環を思う。朝もやが空に溶けていくように心が広がっていく。
顔を上げると大河がゆったりと流れている。沐浴する人々、尻尾でハエを払う野良牛、よろつく野良犬、忍者のように駆ける猿、朝日にキラキラ輝く塵や埃、気が付けば時間を忘れ、陶然と見とれている。
今月のお題は「美しいカレー」だ。
本場の国々とはもはや無関係にカレー文化が栄え、進化している日本ならではのテーマだなと思う。
本格カレーを出す店が、通常の店舗だけでなく、キッチンカーや間借り店などさまざまな形で、まるで隙間を埋めんばかりに続々と増え、それぞれが独自のスタイルを追求し、盛り付けにも鋭意工夫をこらしている。“映え”を緻密に計算してカレーやポリヤルやアチャールを配置し、ときにはライスを堤防型やピラミッド型に盛ったりする。「どうよこれ?」という店主の声が聞こえてきそうである。
「美しい」が見た目の美しさのことを指すなら、本場インドやその周辺の国々の店は、日本の意欲的なカレー店ほどはこだわっていない気がする。せいぜいステンレスの丸い大皿に各種カレーを入れた丸い小皿をたくさん並べる、あのテンプレートがあるぐらいだ。僕がよく行っていた田舎のパッとしない店、換言すれば、地元の人が普段使いしている店では、ボウルにカレーがだらっと入って、ご飯やチャパティが無造作にドサッと皿にのっているだけ、といった無骨な盛り付けばかりだった。写真も一枚も撮っていない(旅が長くなると写真って撮らなくなるんですよね……。もともと写真に興味がなかったのもあるけど)。
だから「美しいカレー」というお題を聞いたときは反射的に「ないなあ」と思った。南インドの“葉っぱミールス”なんかは美しそうだけど、僕は北インドしか行っていない。
と考えていたとき、ふっとある料理が頭に浮かんだ。
“葉っぱ皿”のターリーだ。
ちなみにターリーもミールスも中身は違うけれど、どちらも簡単に言えばカレー定食のことだ。北はターリー、南はミールスと呼ぶ。
南インドではバナナの葉をそのまま皿にしてミールスをのせるが、北インドでそのスタイルは見なかった。ただ、乾いた葉っぱを重ねて型押ししてできた仕切り付きの丸皿に、ターリーをのせて出す店がたまにあった。葉っぱなのに丈夫で、直径30cmぐらいの大きな皿でも料理をのせてたわむことはない。仕切りの凹凸もきれいにかちっとつくられている。バーベキューなどで使われる仕切り付きの紙皿と同じだ。それが、葉脈のしっかり入った自然の葉っぱでできているから、おっ、と目を見張る。野趣にあふれている。どうやってつくるんだろう。葉っぱを乾かしてプレスするだけでこんなにきれいに強くかっちりできるんだろうか。皿をためつすがめつ触りつつターリーを食べ、食べ終えると、地元の人々がやっているように店の前の通りに投げる。野良牛が待ち構えていて、わしゃわしゃと葉っぱ皿を食べる。
なんだかやけに胸のすく思いがし、やっぱり見とれてしまうのだ。
※トップ画像は仕切りのないタイプの”葉っぱ皿”です。大阪市福島区の「亜州食堂チョウク」さんから写真を借りました。たまたま”葉っぱ皿”が手に入ったときに撮った写真だとか。
文:石田ゆうすけ 写真:片倉昇