世界の○○~記憶に残る異国の一皿~
世紀末な町で食べた「タコス」|世界の夏のつまみと酒➀

世紀末な町で食べた「タコス」|世界の夏のつまみと酒➀

2022年8月号の特集テーマは「夏のつまみと酒」です。旅行作家の石田ゆうすけさんは、自転車世界一周旅行で訪れたメキシコで衝撃を受けました。入国した途端に感じる、あまりに危険な香りにおののいていたところ、その不安を吹き飛ばすような料理に出会いました――。

まるで美味しさの爆弾

今月のお題のキーワード「夏、つまみ、酒」からすぐに思い出すのはメキシコのタコスとビールだ。
タコスはその知名度のわりになぜ日本ではこんなにマイナーなんだろう、と実はもう何年も首を傾げている。タコスが不憫でならない。理不尽さすら覚える。不当だ。デモを起こしたくなる。でも(駄洒落)、食べ物ってそういうものかもしれないですね。先月のテーマだったアジア麺の「フォー」なんかも知名度のわりに食べたことない人って多いような......。

なぜタコスにこんなに感情的になるかというと、話はカンタン、タコスがどえらく旨いからです。世界各地を旅して、腹の底から笑った料理というのが二つあって、その一つがタコスだ(もう一つは中国の麻辣豆腐で、「豆腐」のお題が来るのをずっと待っている)。

ただ、アメリカからメキシコに入ったときは、笑うどころか泣きたくなった。あとで知ったのだが、メキシコ側の国境の町シウダーファレスは「世界一危険な町」という実にありがたくない称号を与えられているようで、国境を越えた瞬間、車のクラクションや男たちの怒号の渦に呑まれ、呆気にとられてしまった。目の前に広がったのは、町中にたむろする凶悪な目をした与太者たち、夥しい数の手足のない浮浪者、あばらの浮き出た野良犬、亀甲状にひび割れた道路、戦火の跡のような崩れたビル、風に舞う砂埃、鼻をつく強烈なおしっこのにおい、エトセトラ。大げさではなく、どこからどう見ても世紀末、『北斗の拳』をコピペしたような世界だった。
自転車に大荷物を積んで旅している僕はただでさえ目立つ。町中の与太者の目が僕に一斉に注がれる。本気でUターンしてアメリカに帰ろうかと思った。

ただこのときは、アメリカ側の国境の町エルパソで知り合った日本人の若者Iくんと一緒だった。彼はエルパソ滞在中、何度か日帰りでメキシコ観光をしていたので、メキシコの空気(というよりシウダーファレスの空気。さすがにあんなにひどいのはそれ以降見なかった)にも慣れたものだった。僕は年下の彼を盾にして恐る恐る自転車を押して歩いた。そうして逃げるようにホテルに飛び込み(このホテルがまた凄絶だったのだが、割愛)、荷物と自転車を部屋に入れ、手ぶらになって再びIくんと町に出た。

屋台で肉が焼かれていた。Iくんが「タコスですよ」と言う。
屋台のオヤジは顔中に汗の玉を浮かべ、鉄板の上の肉をヘラでかきまわしている。さいの目にカットされた肉は脂を飛ばしながら転げまわり、ジュウジュウと賑やかな音を立てていた。
オヤジの手は脂でギトギト光り、屋台もギトギトして黒ずんでいる。衛生的に不安になるが、肉の焼ける香りには抗しきれず、一つ注文した。オヤジはギトギトの手でお金を受け取り、その手で"タコスの皮"のトルティージャ(トウモロコシ粉を練って焼いた薄焼きパン)をわしづかみにし、肉を挟む。それを4つ皿にのせ、手渡してくれる。トルティージャにはオヤジの指の形で脂がついている。
焼き台の前にはトマト、タマネギ、レタス、パクチーなどトッピング用の野菜がトレイに入っていた。それらを自分でトングでつまんで入れ、ライムを絞ってかぶりつく。薄皮が裂け、中身があふれ出す。
「!!」
目をくわっと見開いた。シャリシャリのレタス、さわやかな酸味のトマト、パクチーの芳香、熱々の肉の弾力と旨味、肉から滲み出る肉汁に、ドライフルーツのような甘みのあるエスニックな辛さ、あれやこれやがトウモロコシ粉特有の甘みを含んだ皮が裂けると同時に、ボンと口の中で爆発するように広がった。なんじゃこりゃ?とさらに一口かじる。ボン。さらに一口、ボン。もう一口、ボン。やれ一口、ボン。うは、うは、うははははははは、ひいっひっひ、ああっはっはっは。
町のあまりの不穏さに頭のタガが外れ、どこかやけっぱちになっていた僕は笑いが止まらなくなってしまった。まさに地獄で仏に出会ったようで、その衝撃的な旨さになんだか救われた気さえした。
それまでアメリカ、カナダを半年旅し、ファストフード漬けになっていたからか、感動もひとしおだった。食べ物の質がまるっきり違う。タコスは、味が生きている。息を弾ませ、駆けまわっている。

コロナビールも頼み、メキシコ入国を祝ってIくんと乾杯した。彼も僕のテンションに釣られて一緒にゲラゲラ笑っている。そのあとIくんは僕を一人メキシコに残して、アメリカへと帰っていった。
途端に心細くなったが、その日以降、どの町も、特に田舎町はまったく問題なく、それどころかどんな小さな町でも夕方から広場に屋台が出て毎日"夜祭り"状態となり、明るい喧噪のなか、僕も陽気に地元の人たちに交じってビールを飲み、タコスを食べ、そのたびに笑いたくなるような心地になった。

それから年月が流れ、去年の夏のある日。東京五輪の会場を巡りながら世界の料理に舌包みを打つという取材をやり、オリンピックスタジアムの近くにあったタケリア(タコスを食べさせる店)で久しぶりにタコスを食べたら、やっぱり笑ってしまった。こんなに陽気になる食べ物ってなかなかないんじゃないだろうか。
肉にはあの"ドライフルーツのような甘味のある辛さ"があった。笑いの元になっているのはこのメキシコ料理特有の"香味"とトルティージャの芳香だと感じ、店主にその"香味"の正体を聞いてみた。「チポトレ」だと店主は言う。熟したメキシコの唐辛子ハバネロを乾燥させ、燻煙したものらしい。道理でほかの地域に似たような味がなかったわけだ。

それからまた月日が流れ、つい先日のこと。カルディで「タコス・スパイス」なるものを見かけた。肉を炒めてかけるだけでタコスの具ができる、とパッケージに書いている。こりゃあいい。
こうして手軽にタコスを味わえ、日本でもっと広まればいいなあと思う。そうすればデモをしなくても済むし、本場さながらのトウモロコシ粉でつくられた「コーントルティージャ」が簡単に入手できるようになるかもしれませんからね(量販店でたまに見かけるのはたいてい小麦粉のトルティージャで、アメリカで食べられているタコスの皮だ。ま、あれも旨いけどね)。

※トップ画像は、東京のオリンピックスタジアムの近くにある「オーチョタケリア」のタコス。レッドコーンでつくられる自家製トルティージャのため、皮がちょっと赤いです。

文・写真:石田ゆうすけ

石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。