シネマとドラマのおいしい小噺
ティータイムには骨付きハムを|映画『小さな恋のメロディ』

ティータイムには骨付きハムを|映画『小さな恋のメロディ』

映画やドラマに登場する「あのメニュー」を深掘りする連載、第16回。イギリスで紅茶を、といえば優雅なアフタヌーンティーを連想しますが、ちょっと様子が違うようで……?

ロンドンのパブリックスクールに通う11歳のダニエル(マーク・レスター)は、金髪の巻き毛が愛くるしいちょっと内気な男の子。そんな彼が、バレエを踊るメロディ(トレイシー・ハイド)に一目ぼれ。気持ちをまっすぐ表現するダニエルに、メロディも心惹かれていく。恋のかけひきなど一切なく、ひたすら純粋な二人が辿り着いた結論は、すぐに結婚すること!

1970年代という時代背景を映し、子供たちを支配しようとする教師や親たちの姿が描かれている。自由を求め、大人に異議申し立てする子供たちとの対立構造など、底流に骨太なテーマがあるものの、ビージーズ等の透明な歌声が二人の純粋さを称え、まばゆいばかりのラブストーリーとなっている。

注目すべきは、幾度となく登場するティータイムのシーン。さすが紅茶の国イギリス、毎日こんなにも頻繁にお茶を飲んでいるのかと驚かされる。

ダニエルに恋心を抱き始め、ひとり鏡に向かい口紅を引き、長い髪をアップにしてみるメロディ。すると突然、部屋の外から母親の声。
「メロディ、お茶よ。急がないと冷めるわ」
大人っぽく変身した顏をゴシゴシこすり、塗ったばかりの化粧を必死に落とす。その慌てふためく様子から窺い知れるのは、午後のティータイムを欠席するのは許されないということだ。

またある日、宿題をさぼったダニエルは、先生に呼び出されてしまう。ドアをノックし部屋に入ると、教師は優雅なティータイムの真っ最中。執務机にティーセットが所せましと置かれ、ピッチャーにはミルクがなみなみと入り、先生は銀色に光る丸く大きなケトルからカップにお湯を注いでいる。ダニエルに説教をしながらも、右手にカップ、左手にはソーサーを持ったまま。やがてカップを棚の端に置きお尻を叩くのだが、紅茶を飲みながらのお仕置きは、なんとも理不尽で説得力に欠ける。

そしてダニエルがメロディの自宅を初めて訪れたのも、お茶の時間。ボーイフレンドを連れて帰宅した娘に家族は動揺しつつも、二人を招き入れる。テーブルには大きなブラウンのポット、バラの花びらのティーカップ。オーセンティックなティーセットが並んでいる。

そこで母がフォークを使ってダニエルの皿に盛ってくれたのは、四角く半分に折りたたまれた大きなハム。「いいハムよ。」
父も祖母もフォークとナイフを手に、一心にハムを口に運び続けている。ティータイムというより、ちゃんとした食事の光景なのだ。そして祖母からのこの一言。
「ハムは骨付きがおいしいわ」。

英国のティータイムといえば、夕食前にお茶を飲む習慣としてアフタヌーンティーが有名だろう。サンドイッチ、スコーン、ケーキをつまみながらゆっくりお茶を飲み、貴族の社交の場として発展したものだ。これに対し、お肉や魚などの食事を兼ねた「ハイティー」というものがあり、これは労働者階級に端を発するティータイム。紅茶を飲みながら骨付きハムを食べるメロディ家は、明らかに後者であると知れる。

この場面は裕福な中産階級のダニエルに比べ、メロディの家庭環境が庶民的であることを浮かび上がらせている。英国の紅茶はそもそも貴族の飲み物であったが、薬効があるとされ一般大衆にも広がっていった。お茶を飲めばアルコールを飲みすぎることもなく、前日の夕食や朝ごはんの残りを片付けられる。庶民にとって紅茶を頻繁に飲むことは、堅実で質素な生活の知恵でもあった。

さて、ハイティーのシーンに話を戻そう。メロディは家族の雰囲気が醸し出す気まずさから、無言でトーストを食べ続けていたが、向かいに座るダニエルと目が合うと、ふっと笑顔を浮かべる。一方のダニエルは、自分の家庭とは異質のムードに戸惑いながらも、メロディを見つめる瞳には一点の曇りもない。二人の間に揺るぎない絆が築かれていることを、紅茶とハムを挟んだこのシーンが暗示しているのだ。

おいしい余談~著者より~
仲良く学校から下校した二人が、途中で林檎を分け合って食べる場面は美しく、まるでアダムとイブのよう。結婚に反対された幼い二人が自分たちだけで結婚式を挙げ、トロッコに乗って去っていく映画史に残るラストシーンまで、一気に見てほしい映画です。

文:汲田亜紀子 イラスト:フジマツミキ

汲田 亜紀子

汲田 亜紀子 (マーケティング・プランナー)

生活者リサーチとプランニングが専門で、得意分野は“食”と“映像・メディア”。「おいしい」シズルを表現する、言葉と映像の研究をライフワークにしています。好きなものは映画館とカキフライ。