2022年7月号の特集テーマは「アジア麺」です。コロナ禍前のミャンマーを訪れていた石田ゆうすけさんは、そこで夢中になって食べた麺料理がありました。しかし、日本のミャンマー料理店で食べると何か違う……。その違和感の正体とは――。
世界にはこんな麺もあったのか、と感心し、夢中になって食べたのがミャンマーの国民的料理「モヒンガー」だ。
米粉でつくられたそうめんのような麺に、ナマズでとったスープをかける。ミャンマーのナマズは白身の上品な肉質で臭みもない。その骨まで砕いて入れ、エキスをたっぷり抽出したスープだ。ほかにもひよこ豆、バナナの茎、レモングラス、チリパウダー、ナンプラー、にんにく、生姜等々入っており、その味はただただ複雑、深遠。
ナマズの身も細かい繊維状になって大量に入っている。ほぐした蟹の身の歯触りを思わせるその身と、ポタージュのようにとろっとしたスープが、ちゅるちゅるした細麺にからみつく。魚の圧倒的な旨味と、涼しげな米粉の麵のハーモニー。人々から絶大な支持を得るのもわかる。僕自身も大いにハマり、ミャンマー滞在中は毎日のように食べた。今から3年前の2019年、コロナ禍以前の、最後の旅でのことだった。
その2年後、ミャンマーの国軍がクーデターを起こし、世界に衝撃を与えた。
僕はある雑誌でミャンマーを取り上げる機会を得、高田馬場にミャンマー料理レストランがたくさんあることを知った。
その一軒を訪ねると、昼前だというのにミャンマー人でごった返している。メニューはミャンマー語で書かれ、併記された日本語はいかにも添え物といった感じだ。
同国のビール、その名も「ミャンマービール」は置いていなかった。国軍傘下の企業だから取り扱わないのだという。
モヒンガーは現地よりずっと多い盛りで出てきた。食べてみると味は同じだ。複雑な旨味とさっぱりした麺の調和に3年ぶりに浮き立ったのだが、途中から「あれ?」と思った。旨いのは旨いけど......何か違う。
店を変え、もう一杯食べてみる。1軒目同様、盛りが多いことをのぞけば現地のモヒンガーと同じで、旨い。でもなぜかあのときほどの興奮や熱狂を覚えないのだ。
やはり現地で食べるのが一番なんだなと思った。旅をして、土地々々の空気やにおいの微妙な変化を肌で感じるようになると、郷土料理は理由があってその形になっているということがよくわかる。土地のものを、その土地の水を使い、その気候と、その空気の中で食べて、最もおいしくなるよう時間をかけてつくりあげられていった結果なのだ。すべての料理が理に適っている。現地で食べるとしっくりくる。逆に別の場所で食べると、あれ?――と首を捻ることが多い。
わかりやすい例が酒だ。現地で飲んで気に入り、土産に買って帰ったはいいが、家で飲んだらさほどでもなかった、ということがままある。酒はとりわけ、作物と水と気候、そして文化といった、土地のものがすべて集約された結晶だから、差異も感じやすいのかもしれない。
それともうひとつ、モヒンガーは主に朝の軽食であり、基本的に安くて量は少ない。それ一品で腹を満たすというより、ほかに肉まんやサモサや揚げパンなど、いろんな料理と組み合わせ、ミルクティーを飲みながら、のんびり食べるのがミャンマーの朝のスタイルだ。
一方、東京のミャンマー料理レストランは昼と夜の営業だし、それなりの量を出してある程度の料金をとらないと経営的にうまくないのかもしれない。
ただ、料理には適量がある。鮪の大トロは握り1個だから旨い。モヒンガーは一度に多く食べるものじゃないように感じる。
そう思っていたら、池袋にいい店ができた。ミャンマースタイルの朝食が味わえるカフェ「ZUU&HEINミャンマーティーハウス」だ。
看板商品はやはりモヒンガーで、量は控えめで安価。しかも本物のスープをつくるためにミャンマー産ナマズをタイ経由で仕入れるという念の入れようだ。
この店でモヒンガーやほかの料理を食べ、濃厚なミルクティーを飲んでまったりしながら思った。かの地でモヒンガーにドハマリしたのは、その味に感動したことに加え、朝っぱらからまるで居酒屋で一杯やるように、いろんな料理をちょこちょこ時間をかけてつまむ、あのミャンマーののんびりした空気が好きだったからかもしれないなと。
※dancyu本誌にも上記「ZUU&HEINミャンマーティーハウス」の記事を書いたので、よろしければ併せてどうぞ~。
文・写真:石田ゆうすけ