世界の○○~記憶に残る異国の一皿~
旅の長さを実感したウズベキスタンの「ラグマン」|世界のアジア麺①

旅の長さを実感したウズベキスタンの「ラグマン」|世界のアジア麺①

2022年7月号の特集テーマは「アジア麺」です。旅行作家の石田ゆうすけさんは、世界一周旅行でアジアを訪れた際に、他の地域では見かけなかった実に懐かしい食べ物に出会いました。口にすると思わずこみ上げてくるものがあったという、その料理とは――。

思わず興奮した「汁麺」の姿

麺が“郷土料理”として食べられている地域は、世界全体から見ると限られている。アジアとイタリアだ。さらに汁に浸かった麺となると、アジアだけになる(イタリアにもスープに浸かったパスタが一部あるが、たいていはショートパスタで、麺というよりはスープの具といった感じ)。汁に浸かった麺をズルズルと音を立ててすするというシーンは、アジア以外ではまず見られないのだ。
世界を自転車で一気にまわるという旅をやったとき、この麺の分布をはっきりと意識させられた。

中央アジアのウズベキスタンでのことだ。
砂漠の国境を越え、乾燥した大地を延々と走り、小さな町に着いた。道沿いに食堂と思しき小屋が立っている。中に入ると午後3時過ぎなのに客が10人ぐらいいて、丼から何かをすすっていた。なんと、うどんだ。大陸の真ん中でうどんが食べられているのだ。体の芯が痺れるような衝動を覚えた。実に6年ぶりに目にする“汁麺”だったのだ。

アラスカから始まったこの旅は、北中南米を縦断したあと、デンマークに飛び、ヨーロッパ一周、次いでアフリカ縦断、最後にロンドンから日本に向かってユーラシア大陸を横断するというルートだった。つまりアジアが最後だった。

注文を取りにきたおばさんに僕は興奮しながら客たちの食べているものを指し、「エタ(あれ)、エタ!」と言った。おばさんは不思議そうな顔で「ラグマン?」と聞く。初めて耳にする名前だったが、僕は首を縦に振って「ダー(はい)ダー」と答えた。

間もなくラグマンがやってきた。箸ではなくスプーンがついている。肉、ジャガイモ、トマトなど具がたくさん入ったスープを飲むと、シチューと肉じゃがの中間のような味がする。麺は太めで短くて不揃いで山梨の「ほうとう」に似ていた。スープと一緒にその麺をすすると、やっぱりうどんだ。表面は少しぼそぼそしているが、中心にもちっとした食感があり、スープとよく絡んでいる。さらにズルズルすする。
ああ、帰ってきた――。不意にそんな声が体の奥から聞こえ、えっと驚いた。
まったく予期せぬ感慨だった。日本を出てからここまで約6年、その年月の長さを、いま初めて知ったような気がしたのだ。

あっという間の6年だった。あっけないものだった。旅行中は時間の長さを感じることはない。普通に生活していて、自分の生きてきた時間を“長かった”と感じたりはしないように。何年旅をしようが、“現在”の一瞬一瞬があるだけだ。

アフリカのゴール、大陸南端の喜望峰に着いたときも僕はぼんやりしていた。「Cape of Good Hope(喜望峰)」と書かれた看板を見ても、「到達した」という実感は得られず、「ここが喜望峰か」と頭で理解しただけだった。視覚から入ってくるものは脆弱で、あやふやなのだと思った。

が、食べ物は違う。汁に浸かった麺をズルズルすする音、舌触り、小麦の麺の香り、味、喉を通る感触、それらあらゆる刺激を五感で受け止め、体中で懐かしいと感じた。途端に、自分の背後に延々と続く旅路が見え、その途方もない長さと膨大な時間に、息を呑んだのだ。
こんなに長く離れていたのか……。

呆気にとられながら顔を上げた。客たちはみんな無表情で口を動かしている。ズルズルと音を立てて麺をすすり、咀嚼し、また無表情で麺をすする。窓から午後の光が射し、薄暗い店内を淡く照らしていた。その中でズルズル、ズルズル、という音がたくさん浮かんでいる。
アジアにいる……。

丼に目を落とし、麺を口に運んだ。ズルズルという音が顔から鳴り、温かい汁が体に広がっていった。とうとう帰ってきたんだ。顔がじわじわと熱くなり、目から涙があふれた。なんでうどん食いながら泣いてるねん、と自分に突っ込みつつも、構わず涙をこぼし、麺をすすり続けた。食堂の喧騒がどこか遠くのほうで響いているようだった。

文:石田ゆうすけ 写真:前田悠平

石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。