映画やドラマに登場する「あのメニュー」を深掘りする連載。第15回はいまの時期に観てほしい、梅雨の風景から始まる一本です。
都会を離れ故郷の東北の村に戻り、一人暮らしをするいち子(橋本愛)。夏から秋、そして冬から春へ。移りゆく自然とともに、いち子の生活が丸々一年かけて綴られる。
食べるものはすべて、自分の手で育て収穫しようとするいち子。それゆえ彼女が口にする料理は物語性を帯び、暮らしの真ん中に「食べる」という行為がしっかり組み込まれていく。自然と食べ物と人間が織りなす、美しいタペストリーのような作品なのだ。
母から伝授された森の暮らしの料理を、ひとつひとつ再現していく。ストーブでパンを焼き、グミを採ってジャムにして、釣った岩魚をさばいて南蛮漬けにする。稲刈りの季節になれば農作業にクルミご飯を持参したり、栗の渋皮煮のレシピを村の仲間と交換し合う。
ある初夏の日。自給自足の米づくりのため稲作に精を出すいち子は、田んぼの雑草刈りの真っ最中。長時間腰をかがめる作業で腰と肩はガチガチになり、おまけに梅雨のじめじめした湿度で作業着が暑苦しくてたまらない。そこで「米サワー」を造ろうと思い立つ。
「すっきりさっぱりしたーい!米サワー、仕込んでおくか」
早速台所に立ち、おかゆを甘酒にするところから始める。おかゆに麹を入れ、しゃもじで底から全体を混ぜ合わせ一晩置く。蒸し暑い季節には常温で放っておけるので、翌朝には鍋の中は、淡い黄色の甘酒に変わっているはずだ。
朝目覚めて台所に立ち、大きめのスプーンで鍋全体をくるりと混ぜ、そのまま一口含む。
「うん、甘い」
いい味の甘酒になっている。
次は発酵だ。加える菌はヨーグルトでも原酒でもいいが、パン作りに使うイーストを入れるのがいち子流。半日も経てば発酵が進んでくる。鍋の蓋を開けると、米粒の間からふつふつと泡が立ち、まるで生きているようにプチプチと音を立てている。それをふきんに移しギュッと絞れば米サワーの完成だ。ボウルから、大きなじょうごを使って瓶に詰めると、ミルクのように白く濁った液体がたぷたぷと溜まっている。あとは冷蔵庫で冷やすだけだ。
そしてまた蒸し風呂のような農作業に繰り出し、終わったら一目散に家に戻る。しっかり冷たくなった瓶の栓を開けグラスに注ぎ、立ったまま冷えた米サワーをぐっと喉に入れた。発酵ガスの効果は抜群で、甘酒よりずっと爽やかな飲み心地になっている。
ごくごくとおいしい音を立て、喉ごしの心地よさにたまらずそのまま一息に飲み切ってしまう。「ああ、はあっ」と、言葉にならない声が一人の台所に響く。続けざまに二杯目も飲み切りそこで一息つくと、暑苦しさも疲れもすっかり吹き飛ぶのだ。
米サワーを造りすぎてしまったら、発酵が進みすぎないうちに友達を呼べばいい。小さな森の暮らしでは、それが友達に逢う理由になる。その晩、いち子は幼なじみのユウ太(三浦貴大)と、米サワーを間に挟んで夜が更けるまで話し込んだ。
四季をめぐり作物を育て収穫し、その食材を工夫して自分のために料理をつくる。その丁寧な営みは、すなわち自分を大切にすることに他ならない。繰り返す日々の中で、いち子はいつしかそのことに気づき、自信を取り戻していく。
大きな自然に抱かれながら、人とのつながりと季節にふさわしい料理を核にした暮らし。積み重なる時間の流れとともに、生きることの本質的な営みが描かれ、見終わると深い癒しに包まれる作品である。
文:汲田亜紀子 イラスト:フジマツミキ