世界の○○~記憶に残る異国の一皿~
旅の終わりのキムチ|世界の韓国料理①

旅の終わりのキムチ|世界の韓国料理①

2022年4月号の特集テーマは「韓国日常料理」です。旅行作家の石田ゆうすけさんは、自転車で世界一周を果たしました。その旅の最後の国、韓国を訪れたときに忘れられないキムチを食べたといいます――。

日本とそっくりな風景

韓国には雑誌の仕事で何度か訪れ、グルメの取材もやったから食べ物ネタには困らないのだが、真っ先に思い出すのは取材で食べた豪華絢爛な宮廷料理や最高級の焼肉なんかではなく、貧乏旅行の際に食べた安いキムチだ。

7年以上に及んだ自転車世界一周旅行の仕上げはユーラシア大陸だった。ロンドンから日本に向かってペダルを回し続けること2年4ヵ月、大陸の東、中国の天津に着くと、フェリーで韓国に渡った。27時間の航海で、運賃は日本円で約1万2000円。最安のチケットで、日本でいうなら二等なのに雑魚寝ではなく、清潔な白いシーツに覆われた広いベッドが一人一人に与えられ、カーテンでプライバシーも守られていた。

韓国の仁川港に昼過ぎに到着。入国手続きを終えて走りだすと冷気が肌を刺した。まだ10月なのに日本の真冬のようだ。
間もなく町が現れ、えっ?と呆気にとられた。
「……日本やん」
清潔感のある街並みに街路樹、小綺麗な車に近代的なショッピングモール、高層ビルに高層マンション、エトセトラ。ハングルの看板がなければ日本と見分けがつかないんじゃないだろうか。大陸を東進すると、中央アジアあたりから街や人々に日本の面影をだんだん感じるようになってくるのだが、ここへ来て一足飛びに日本に着いてしまったようだった。

あっけない思いでペダルをこいでいると、あるものが目に入り、心が揺らいだ。ホカ弁屋だ。黄色い壁もお勧め弁当のポスターがガラス扉に貼られているのも日本のホカ弁屋そっくりだ。何よりホカ弁屋自体目にするのは日本を出て以来で、懐かしいような寂しいようななんともいえない感傷に包まれた。日本でサラリーマンをしていた頃、旅の資金を貯めるためにしょっちゅうホカ弁屋でのり弁や鮭弁を食べていたのだ。

入ってみるとメニューも日本のホカ弁屋同様、写真で一覧になっている。トンカツ弁当を注文した。1800ウォン、約180円だ。値段だけはえらい違う。
外に出て店の前のベンチに座り、弁当の蓋を開けると口元が緩んだ。トンカツの横にキムチが盛大に盛られていたのだ。やっと韓国に着いた、と思った。

キムチをひと切れ口に入れると、鮮烈な辛さと共にアミの香りとコクが広がった。ホカ弁の付け合わせとは思えない深みだ。
ホカ弁屋からおばさんが笑顔で手招きしているのが目に入った。寒いから中で食べなさい、ということらしい。ちょっと躊躇したが、実際震えるほど寒いのでお言葉に甘えることにした。
日本のホカ弁屋と同じくイートインスペースはなかった。「こっちにおいで」とおばさんは手招きする。カウンターをくぐり、調理場に入ると、エプロンをつけて白い帽子をかぶったおばさんがもう一人いた。勧められるがまま従業員用のイスに座り、まかない用と思しきスペースで弁当を食べることになった。

おばさんたちは終始ニコニコしていた。僕はキムチを指差し、「グッド」と親指を立てる。おばさんたちは弾けるように笑い、「好きなだけ食べな」といわんばかりにキムチを器に山盛りにして僕の前に置いた。
「カムサハムニダ(ありがとう)」
どの国でも最初に覚える言葉だ。僕のめちゃくちゃな発音が面白かったのか、おばさんたちは再び明るく笑った。
不意に、彼女たちの笑顔や笑い声が遠ざかり、僕は一人、己の心の中を見つめるような気持ちになった。――なぜみんなこんなに優しくしてくれるんだろう。行きずりの僕に、これまで一体どれだけの人が手を差し伸べてくれただろう……。

旅が終わる寂しさと孤独感がいや増す寒さの中、部屋の温もりとおばさんたちの笑顔が体の中から温めてくれていた。
キムチを大量に頬張った。爽快な辛さを感じながらザクザクと音を鳴らして噛みしめ、なんだか泣きたいような気持ちになっていた。

文・写真:石田ゆうすけ

石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。