2022年4月号の特集テーマは「韓国日常料理」です。旅行作家の石田ゆうすけさんは、世界一周旅行の最後に訪れた国、韓国での地元民たちの親切な対応が印象に残っているといいます。そんな「礼」の精神を感じる韓国料理の味とは――。
自転車でロンドンを発ってユーラシア大陸を横断し、中国から船で韓国に入った。10月下旬だが、日本の真冬のような寒さだ。
山あいの道をこいでいると、僕と同じように自転車に大荷物を積んで走っている二人組に追いついた。話しかけると、地元の大学生で数日間の旅をしているのだと言う。二人ともいかにも世慣れしておらず、大人しくてまじめそうな若者だった。
ドライブインのような店が見えてきた。道を逸れてそっちに向かうと、彼らも僕のあとについてきた。
店の中も一昔前の日本のドライブインのようだった。冷かしで土産物を見ていると、学生たちがコーヒーを三つ買ってきて、一つを僕に渡した。えっ、それは困る。学生からごちそうになるわけにはいかない。
お代を払おうとすると、彼らはさっきまでの大人しい様子とは打って変わり、断固とした調子で僕の申し出を断った。
「あなたはお客さんですから」
儒教の「礼」の精神をふと思った。彼らの頑なな様子に、結局僕のほうが折れることになった。
ハングルの読み方を聞くと、彼らは丁寧に教えてくれた。合理的な構造なのでルールを覚えれば簡単に読めるようになる。暗号のようにちんぷんかんぷんだった文字の一つ一つが個性を持ち始めた。
彼らと別れて走り出すと、景色が変わった。案内標識のハングルがいくらか読めるようになっている。現地にほんの少し入り込めたような気がして、なんだか楽しくなってきた。標識のハングルを読み、併記されているアルファベットで答え合わせをし、一つ一つの読みを頭に刻みつけていく。寒いサイクリングの気晴らしにもぴったりだった。
山間部を抜けると、小さな町が続くようになった。ソウルなど都市部はいかにもアジア的なごちゃごちゃした混沌が目につくエリアもあったが、田舎の町はどこもすっきりして清潔感がある。そのせいか町がドラマのセットのように見えることがあった。なんだろう、と考えているうちに、そうだ、落書きがないんだ、と思った。見事にひとつも見当たらない。さっきの学生たちの礼節を重んじる態度がふと思い出された。
儒教の精神が町の美しさに実際関係しているのかどうかは不明だが、この国は走っていてとても清々しく、やたらと人の親切に触れるのは紛れもない事実だった。
あっという間に日が陰り、やがて暗くなった。寒いから晩秋の短日が身にこたえる。街道を逸れて町に入り、目についた食堂のドアを開けた。
プルコギを注文すると小皿が次々に運ばれてきた。もやしとにんじんのナムル、キムチに水キムチ、大根の千切り、大蒜の芽といりこの和え物、と実に6皿。この国に入ったばかりの頃は「こんなの頼んでいないよ」と慌てたが、メインの前に出てくるこれら小皿料理は無料なうえに、質は上等だし量もすごいのだ。韓国特有のこの食文化にもやはり「礼」が感じられ、温かく迎えられている気分になった。
タレに浸かった牛肉が出てきた。ジンギスカン鍋のようなもので焼き、チシャにくるんで口に入れると、甘辛いタレと肉のコクが口内に広がって身震いした。
「日本で食べていたプルコギはなんだったんだ!」
迫力や厚みを感じさせる活き活きした旨さ、食文化というものが持つパワー、それらが韓国料理はひときわ強いように思えた。韓国人旅行者は海外にいても自国の味を求める傾向があり、それは日本人旅行者よりも強いように思えたのだが、それもわかるような気がした。これだけ旨味の強い料理を食べて育ったら、どの国の料理も確かに物足りなくなるかもしれない。
会計をしてもらうと5000ウォン、なんと500円だ。ますます浮かれながら夜道を走り始めた。
道がわからなくなったので、ガソリンスタンドに寄って若い兄さんをつかまえ、「テグはどっちですか?」と英語で聞いてみた。彼は質問の意味は理解したようだが、英語ではうまく答えられないらしく、もどかしそうに口の中でもごもご言ったあと、空手の正拳突きのように腕をビシッと伸ばして道の前方を指差し、「ストレート!」と叫んだ。その大仰なポーズにぶっと吹き出すと、彼も爽やかな顔で笑った。出会う人がみんな好意的なんだよなぁ。しみじみそう感じながら走り出す。顔がずっと緩んでいる。
建設中のビルが現れた。建築資材が大量に外に積まれている。盗まれる心配は皆無といわんばかりだ。田舎の治安のよさは落書きが一つも見当たらないところからも窺えた。
そのビルの陰にテントを張った。野宿の張り詰めた緊張感は一切なく、どこでも寝られるような安心感に包まれながら、温かい暗闇に吸い込まれていった。
文:石田ゆうすけ