世界の○○~記憶に残る異国の一皿~
野性味あふれるアラスカのハンバーグ|世界の挽き肉①

野性味あふれるアラスカのハンバーグ|世界の挽き肉①

2022年2月号のテーマは「挽き肉が主役」です。旅行作家の石田ゆうすけさんは、自転車世界一周旅行をアラスカから始めました。最初は不安と後悔ばかりだったようですが、とあるハンバーグを食べたときに心境ががらりと変わったとのこと――。

アラスカの原野で育った味

食の雑誌dancyuの特集をテーマに、海外での体験を語るというこの連載、今月のお題は「挽き肉」だ。
アラスカで食べた料理が印象に残っている。
自転車世界一周の旅で最初に訪れた場所だが、軟弱な元サラリーマンの出発点としては少々過酷すぎた。
町を一歩出れば、荒々しい原野だ。凍土に敷かれた道はところどころ舗装されておらず、夏は泥と化し、自転車を押すこともしばしばで、町は一向に現れず、森にテントを張れば熊の気配におびえ、無事朝を迎えたと思ったら名状しがたい筋肉痛を全身に感じ、テントの天井を見上げては「バカなことを始めてしまった」と後悔する毎日。重い体を引きずってテントから這い出ると、暗い森が海のように広がっていて、一人ため息をつく。

転機は出発から10日後に訪れた。
知人の紹介で日本人の犬ぞりレーサーFさんのお宅に迎えられた。
夫婦二人の家はアスペンと呼ばれる白樺のような木々に囲まれて建っていた。来た当初は原生林だったこの土地を、自分たちで木を切り、大地をならして住めるようにしたらしい。
「ムース(ヘラジカ)がときどきやってくるよ。庭のあのへんを通り過ぎていくんだ」
Fさんがそう言ったとき、僕は思わず身を乗り出した。
ムースは手のひらを開いたような形の角を持つ世界最大の鹿で、体重は700kgにも達するという。そんな野生の大鹿が家の庭を歩いていくなんて......。
「今度は冬にいらっしゃい」と奥さんが言う。
「オーロラがすごいわよ。二人で毛布にくるまってね、ココアを飲みながら外で何時間も見るの」
おとぎ話でも聞いているような気分だった。
僕はこれまで原野の広さに圧倒され、森の暗がりや草木の音におびえながら、それらから逃げるように走ってきた。そのアラスカが、彼らの口から語られるとまったく別の顔になっているのだ。

彼らの好意に甘えて翌日ももう一泊させてもらい、犬のトレーニングを手伝ったり、家のまわりを整地したりした。
夏のアラスカは日が長かった。夕食は外でバーベキューをしようということになり、Fさんが冷蔵庫から大きな赤い塊を取り出した。
「ムースの肉だよ。地元の猟師がよくくれるんだ」
首筋がざわっとした。そんなものが当たり前のように冷蔵庫から出てくるなんて。
アラスカだ、アラスカにいるんだ。今ようやく目が覚めたように、そのことを肌で理解した。歓喜とも興奮ともつかぬ熱が押し寄せてきた。

ムースの肉は専用の器具でミンチにした。ステーキだと硬いらしい。
タマネギをみじん切りにしてフライパンで炒め、ミンチに入れて手でこねていく。ミンチには強い弾力があった。アラスカの原野で育った肉なのだ。
炭火で焼き上がったハンバーグはむっちりと膨らんでいて、噛むとブロックベーコンのような歯ごたえがあった。味は日本の鹿よりコクがあり、牛に近い感じがする。野生動物のクセはあるが、気にならない程度だ。脂肪分が少ないせいか後味はすっきりしていた。
アスペンの葉が青空の下で揺れ、何万という葉のこすれる音がサワサワと鳴っていた。まるで自然の大合唱だ。
「アラスカでは"Quaking Aspen(揺れるアスペン)"と呼ばれているんだよ」とFさんが教えてくれた。そういえばここにいた2日間、ずっとこのサワサワというやさしい音に包まれていたような気がする。
午後8時をまわっていたが、まだまだ昼のように明るかった。
「明日はどこまで走るの?」と聞かれ、行けるところまでです、と答えたとき、艶やかな原始の森が脳裏に広がった。
明日という日が楽しみで仕方がなくなっていた。
再びムースのハンバーグを口に頬張った。野生の肉の弾力がグイッと歯を押し返してくる。そのエネルギーが自分の血となり、肉となるイメージを体の奥で抱いていた。

文・写真:石田ゆうすけ 

石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。