2022年1月号のテーマは「新しい家中華」です。旅行作家の石田ゆうすけさんは、自転車世界一周旅行の終盤、シルクロードの走破に挑戦しました。あまりにも過酷な道中に出会った不思議なぬくもりを感じる料理とは――。
真夏の中国シルクロードを自転車で走る、と話すと現地の中国人はみんな口をそろえて「やめとけやめとけ」と言った。暑いぞ、死ぬぞ、と脅す。
で、行ってみたら、確かに温度計が50℃を超える日もあったが、それよりひどかったのが風だ。さえぎるものがない砂漠でまぁ好き放題、荒れに荒れた。
ある日、日の出前に目が覚め、音がないことに気付いた。風がやんでいる。急いで起き上がり、宿を出て自転車で飛ばし始めた。次の町まで約130km、風が止まっている間に距離を稼いでおかなければ。
月面を連想させる大地が360度広がり、一本道がまっすぐのびていた。空は一面雲に覆われている。嵐の前触れのようで気味が悪い。
地平線の近く、雲が薄くなっているところが次第に明るくなってきた。日の出だ。メーターで走行距離を見ると8km。あと122km。
ドン、という音が聞こえた気がした。次に殴られたような衝撃が来て、風になぎ倒され、足をついたが、これでは足りない、瞬時にそう判断して自転車から降り、中腰でふんばって自転車を盾にして支えた。地獄の始まりだった。僕を体ごと吹き飛ばしそうな風が右から左から往復ビンタのように吹きつける。体を折り曲げ、顔を歪め、自転車を押しながら一歩一歩あるく。
真夏にシルクロードを走るなんて無謀だ、やめておけ、何度そう言われてもあえてこのルートを選んだのだ。7年以上に及ぶ自転車世界一周旅行の最終盤だった。めちゃくちゃなことをやってやれ。そんなヤケクソな思いが体内をかきむしっている。
ゴオッとひときわ大きな音が鳴り、張り手のような風が来た。上体をさらに低くし、下半身に力をかけるが、耐えきれず自転車ごと押し倒される。頭に巻いたバンダナがはぎとられ、砂漠の上をすべるように飛んでいった。あらわになった髪が風でかきまわされる。回っている洗濯機の中に放りこまれたような気分だった。
風が吹き始めてから15kmを進むのになんと5時間もかかった。その前に8km進んでいたからトータル23km。次の町まであと107km。残りの水は6.5リットル……。
絶望的な気分で自転車を押して歩いていると、心なしかかすかに風が弱まってきた。いけるか。自転車にまたがり、ペダルを踏む。スピードは出ないが、なんとかこげる。
夕暮れが近づき、次の町まであと80kmほどのところで、荒野にぽつんと作業所のようなものが現れた。人がいる。助かった。近づいていくと、みんな一斉に顔を上げた。
「!?」
思わず吹き出しそうになった。全員、コントの“爆発直後”のように髪が逆立っていたのだ。髪の長いおばさんはメドゥーサのように蛇がのたうったような髪型になっている。
従業員4人の小さな作業所だった。木のコンテナがつくられている。疲弊しきった僕を彼らは飯場に迎え、スイカを出してくれた。かぶりつくと生き返った心地がした。
どこから来た、どこへ行く、といったいつもの質問に答えているうち、おじさんは「一碗泉(次の町)まで行く必要はない。ここに泊っていきな」と言った。
晩飯にも呼ばれた。食卓を見た瞬間、意外な思いがした。
これまでも砂漠に住む人々の生活を覗く機会はあったが、食事はいつも簡素だった。食料の入手経路や保管を考えると当然そうなるのだろう。しかしこの日、おばさんがつくってテーブルに並べた料理は、ナスとトマトの炒めもの、ピーマンの炒めもの、中華粥、そしてマントウ(具のない中華まんで、このあたり中国北部の主食)といった、町の食堂とほとんど変わらないものだった。
食べてみると味も遜色ない。ピーマンを油で炒めただけのものが、なんでこんなに旨いんだろう。
自分でつくるときはつい栄養を考え、野菜を何種類も一緒に炒めてしまうが、中国では3種類の野菜があったら3種類の料理をつくる傾向があるように感じられる。確かにそのほうが素材の味が立つかもしれない。
ともあれ、こんな砂漠の真ん中でも、町で食べるものと変わらない料理がつくられているところに、中国人の食への執念を見る思いがした。
またその食卓には不思議な温もりがあった。メシをくちゃくちゃと音を鳴らして食べながら一人が何か言い、誰かが返し、みんなが文字通り噴飯する。いつもの食事風景だが、ふと我に返り、今の自分を俯瞰すると、外は相変わらず猛烈な嵐で、風は獣のように咆哮しながら飯場の小屋を揺さぶり、窓はガタガタ割れんばかりに鳴って、みんなの髪はパンクロッカーのまま、おばさんもやはりメドゥーサヘアーのまま甲高い声で盛んに何かしゃべっている。世界の果てで同窓会をしているような、おかしな一体感があった。そのシュールさに打たれながら、ガタガタ鳴っている窓を何気なく見ると、暗いガラスに映った自分もまた、涙を流して笑われそうな爆発ヘアーで、みんなの会話にニコニコ、あほのようにうなずいているのだった。
文・写真:石田ゆうすけ