「酒を出せない酒場たち」~いつかまた、あの店で呑もう!~
お客さんの生活のリズムは変わった。だけど、あそこは変わらねえなと言われる店でいい──浅草「ぬる燗」

お客さんの生活のリズムは変わった。だけど、あそこは変わらねえなと言われる店でいい──浅草「ぬる燗」

選りすぐりの日本酒と気の利いた酒肴で評判の居酒屋、浅草「ぬる燗」。観音裏に佇むこの酒場も、長らくの休業を余儀なくされている──かつてない苦境に立たされる酒場の人たちは、どのような思いでこの日々を乗り越えてきたのか。さまざまな店への取材を通して、「酒場の良さってなんだろう?」とじっくり考えていくルポルタージュ連載。第九回は、暮らしのリズム/酒場のリズムについて思いを馳せてみます。

新型コロナウイルスに翻弄されてきた日本。2021年9月末現在、緊急事態とまん延防止等特別措置の連続により、東京の酒場においては完全な形で営業できた日はほぼないという異常事態に陥りました。酒類提供自粛を要請された期間は、4月下旬から9月末までの間の5ヶ月超の期間の、実に4ヶ月半に及びます。

酒を出せない酒場は、この苦境に何を思い、行動してきたのか。そして、営業再開にあたり、どのようにして、客とのつながりを回復しようと考えているのか。行政の要請に従いながら我慢を続けてきた酒場にお話を伺うこのシリーズも9回目。今回は、浅草の「ぬる燗」にお邪魔をいたします。

外観

毎日店に来て、玄関先を掃く。花も枯らさない

訪れたのは8月26日。まだ暑い最中。いつもなら昼から飲める浅草の飲み屋さんたちもいっせいに店を閉じていた午後のことです。浅草寺の裏の一角、通称“観音裏”に「ぬる燗」はあります。カウンター10席、お座敷に4席の小づくりな店を、店主の近藤謙次さんがひとりで切り盛りしている。選りすぐりの酒と、美味なる酒肴で定評のある店は観音裏ですでに17年。確固たるポジションをもった名店のひとつです。店の前まで行くと、道に水を打ち、植木にも水をやった形跡が見えました。

近藤さんは、にこやかに迎えてくれます。

店主
店主の近藤謙次さん

日に焼けていますね、と声をかけると、破顔一笑していわく、「自転車、乗ってますから(笑)」。

現在、店は休業中で、ランチも、お持ち帰りもやっていない。けれど、近藤さんは、店を開けているときより早く起きるそうです。

「休みの間も、店には毎日来ています。玄関先を掃いたり、水をまいたりしている。だから、食材さえ仕入れたらすぐにでも営業はできますよ。準備はいつもできている。店に来るのは風を入れるためと、自分の習慣を守っておくためです。朝起きて市場に行くけど仕入れはしない。ただリズムだけは崩さないようにしている。あとは、身体を動かして汗をかく。これは体調を整えておくため。だから、自転車に乗る。日焼けもする(笑)。自分ひとりでやっている店だから、怠けようと思ったら、いくらでもサボれるんですよ。でも、店に来れば、ご近所さんの顔は見れるでしょ。それに、店の前にゴミがあっても嫌だからね。毎日、掃く。花も枯らさない。お、やってるな、ちゃんとしているな、と思ってもらえるでしょう?」

店では、日ごろ、50種類ほどの酒肴を用意する。旬の魚介、野菜、肉などを、バランスよく仕入れ、工夫を凝らした料理にして、酒の脇に出す。種類が多いのもさることながら、一品一品、細かに気配りされていて、これこそ、酒に合うと、膝を打ちたくなるような肴に仕上げる。ひとつの食材を料理のバリエーションでいくつものメニューにすることを好まないから、仕入れる量も多すぎないよう配慮する。それでいて、50種類はあろうかというどの料理も、最低2皿は出せるよう、仕入れるのです。

食器

いい材料でうまいものを出す。と、言うは易しだが、小ぶりな店で、ひとり切り盛りする中でそれを実践するのは並みのことじゃない。素人目に見ても、たいへんな熟練を要すると思われる。しかし近藤さんは、そういう苦労はオクビにも出さない。黒のダボシャツを着て、忙しいときはなおさらの、ちょっとした仏頂面で、客に対するのだ。それがまた、いい。

「時短営業のときは、開店を3時にしたり4時にしたりして、店を開けてきました。もともとウチはお馴染みさんの比率が高い店ですが、こういうご時世ということもあって、どうしても馴染みの深いお客さんばかりになっていました。でも、それも酒を出していたときまでのこと。酒の提供ができない緊急事態宣言になってからは、店はまったく開けられない。ランチをやってみたら、なんて言ってくれる人もいたんですけど、それをやればやったで、いろいろな要望に応えたくなる。あれもこれも、やりたくなる。それはどうかな、と思った。だから完全休業。それにしても、休みが長いよ

のれん

浅草に“祭”がない。街にライブ感がなくなったら、つまらない

浅草で店を始めたのは2004年だが、近藤さんは実はお隣の荒川区の出身。浅草以外を“外”と言う浅草の人々の中に飛び込み、店を開き、街に浸透した。住居を浅草にしたのは、今から10年ほど前のことと言います。そんな近藤さんは、コロナ禍の浅草をこう表現します。

「春の花見に始まって、三社祭、隅田川の花火大会、サンバカーニバルなど、大きなお祭りがある。それが、去年から、ないわけですよ。三社祭も、2年連続で開催できなかった。街の人たちは、意気消沈ですよ。僕も花火大会のときは店を休んで河川敷で仲間たちと花火を楽しんだものです。子供用のゴムのプールに氷水を張って、キュウリとトマトと酒を冷やして、盛大にやっていました。観音裏のいいところは、街でお祭りをやっていても、ここへ来ると静かに飲めることなんです。神輿の声をちょっと離れたところで聞きながら、しっぽり飲む。そんな楽しみは観音裏ならではです。でも、今は、祭りがない。街にライブ感がなくなったら、つまらないですよ

浅草に遊び、浅草で飲む。その楽しみは、浅草に住む人々が街に対する愛情と誇りを胸に躍動する、まさにライブ感があればこそ。その賑やかさの裏側には、喧噪から身を潜めたいときにも肌に馴染む、観音裏が待っているのです。

額絵

「ちょっと隠れたところに色つやがある。浅草の3丁目、4丁目だけでも、寿司、そば、割烹、居酒屋、スナック、なんでもある。6丁目のあたりは、昔の歌舞伎座だし、ちょっと行けば吉原でしょう。けとばしや(馬肉料理のお店)があってね、浅草って、奥が深いですよ」

言葉の端々に、今は自分の街となった浅草への想いが滲む。「休みが長いよ」という一言に、この1年半の不本意、無念も滲む。では今、どんな気持ちで、再開のときを迎えたいのでしょうか。単刀直入に伺ってみました。

「再開にあたっては、口開けの酒を用意したいと思っているんです。シュポンと音をさせて新しい瓶の栓を抜く。あの気持ちよさを、お客さんに味わってもらいたいじゃないですか。だから、その前に、まず、抜栓してしまった酒を、すっかり空けてしまわないといけない。だから僕は、酒の提供ができなくなってから、残っていたのを全部、飲みましたよ。たいへんだった(笑)」

品書き札

こうした酒への思い入れというものは、呑ん兵衛にとって、なんとも嬉しい話じゃないですか。お客さんに新鮮そのものの酒を飲ませたい。まだ空気に触れてない、初々しいところをお分けしたい。そういう気持ちで注がれた酒の、まずかろうはずがない。この一点だけをとっても、「ぬる燗」の営業再開時の感動が容易に想像されます。

しかし近藤さんは、ただ手放しで営業再開を喜べるかどうかは、わからない、それはまた別だと言うのです。

「開けたとき、すっかり元に戻れるかどうかは、わからない。それは最初の緊急事態宣言のときから思っていたことです。お客さんにとって、生活のリズムが変わったわけですよ。たとえば月に1度、あるいは週に1度、ウチに飲みに来る。そういう人が、店が開いていないとか、営業時間が短くなってしまったとかで、来られなくなったとしたら、その人の酒場に行くリズムが変わる。だからといってこちらから電話をかけて来てよ、というのも違うと思う。酒場というのは、ふらりと入るもの。呼ばれていくのではなく、ふらりと行くのが酒場だと思うから、お客さんのリズムが変わるということは気になりますよ」

店主

確かに、このコロナ禍で、家飲みの楽しさをさまざまな形で発見している人も少なくないだろう。また、今後は、以前のように大勢で飲みに繰り出す機会は減るかもしれない。となると、少しずつではあるが、酒飲みたちの酒の飲み方、街での過ごし方の、これまで当たり前であったものが、そうではなくなることもあるのかもしれない。

「家で飲めば安く済む。飲みに行くということは、酒肴にしろ、酒場の空気にしろ、何かの付加価値に見合う対価を払って行くわけですよ。それでも、やっぱりあの店に飲みに行ったほうがおもしろいと思っていただくのは、簡単じゃない。僕は17年前に店を始めたとき、こう思った。お客さんが飲みに行きたいなと思ったときに、ふっと頭に浮かぶ店になりたいと。ちょっと顔を見に来たよという感じでお客さん来てくれるのがベストだと、そう思った。だからこそ、コロナ禍の中でもウチを好んでいただけるお馴染みさんのありがたみを、今、痛感しているんです

厨房
酒瓶ととっくり
酒を×にした甘酒札
外観

今後、店の方針なり、サービスなり、何か変えていくつもりなのでしょうか。最後に、それを伺いました。

「実は、今のままの店が求められていると僕は思っているんです。あそこは変わらねえなと言われる店でいい。意地を張ってそうしようと思う部分もあるけど、お客さんの意見を聞きすぎたらこれまで17年間のやり方が狂っちゃう。コロナみたいなことはこれまでなかったから、変えることも考えなくてはいけないのかもしれないけれど、僕はブレないでやっていきたい。変わんねえな、というのが、今の結論。頑なだね(笑)」

酒場も飲み手も、時代が要請する生活形態に順応する中で、さまざまに変化する。しかし、そこに、その中に、近藤さんが目指す変わらないポリシーがあることは、実に心強い。いつも変わらずに迎えてくれる、そんなちょっと懐かしい空間は、酒飲みにとって、なによりありがたいものでしょう。変わるものと変わらないもの、その両方に、耳を傾けるような気持ちで杯を傾けるのは、酒解禁後の、小さな楽しみのひとつなのかもしれません。

店主

*緊急事態宣言中は休業。最新の情報は店のHPにて確認を。

店舗情報店舗情報

ぬる燗
  • 【住所】東京都台東区浅草3-20-9
  • 【電話番号】03-3876-1421
  • 【営業時間】18:00~翌0:30(L.O.) 日曜 祝日17:00~22:30(L.O.)
  • 【定休日】不定休
  • 【アクセス】つくばエクスプレス「浅草駅」より徒歩6分、東京メトロ・東武スカイツリーライン「浅草駅」より徒歩10分

文:大竹聡 写真:衛藤キヨコ

大竹 聡

大竹 聡 (ライター・作家)

1963年東京の西郊の生まれ。早稲田大学第二文学部卒業後、出版社、広告会社、編集プロダクション勤務を経てフリーに。コアな酒呑みファンを持つ雑誌『酒とつまみ』初代編集長。おもな著書に『最高の日本酒 関東厳選ちどりあし酒蔵めぐり』(双葉社)、『新幹線各駅停車 こだま酒場紀行』(ウェッジ)など多数。近著に『酔っぱらいに贈る言葉』(筑摩書房)が刊行。