世界の○○~記憶に残る異国の一皿~
驚きと感動の「ソムタム」|世界のサラダ②

驚きと感動の「ソムタム」|世界のサラダ②

2021年10月号の第一特集テーマは「おいしいサラダ」です。石田さんは世界一周の旅の終盤にタイを訪れました。なぜかタイには日本人のおじさんが多かったといいます。そんな微笑とおじさんの国で出会ったサラダとは――。

未知だからこそ旅は面白い

パパイヤのサラダというのがある。熟れる前の青いパパイヤを千切りにして、ライム、ナンプラー、唐辛子、砂糖などで和える。ソムタムという。
今でこそ日本でも知られた料理だが、僕が世界をまわる前は今ほどタイ料理店も多くなかったし、僕自身、エスニック料理に特別興味があったわけでもなかったので知らなかった。

そのタイに入ったのは、自転車で世界をまわった旅の終盤、日本を出て7年目のことだった。
日本から西に向かってアジアを横断する、いわゆる「深夜特急」ルートで旅をする人は多いが、僕はその逆だった。北中南米、ヨーロッパ、アフリカ、と他の大陸を先に走ったあと、最後にロンドンから東へ、ユーラシア大陸を横断して日本に帰っていった。
そのようなルートで走ると、タイに入ったところでなかなかのショックを受ける。あちこちでやたらと日本人に会うようになるからだ。急に日本が近づいたことが肌に伝わってくる。旅行者だけではなく、旅の果てにタイに居着いたという日本人のおじさんもやけに多い。

タイに入った初日からタイ在住のおじさんに出会った。会うなり、自分がどれだけ喧嘩が強いかという話が始まり、延々と武勇伝をしゃべり続けた。
翌日も別の町で日本人のおじさんに出会った。さんざん旅をしたあと、今はバンコクに住んでいるという。宿のテラス席で向かい合ってしゃべっていると、新しい客が来た。見ると、日本人らしき若い女性旅行者だ。こんな田舎町に?と意外な感じがした。何か見どころがあるのだろうか?
正面に視線を戻すと、そこにはイスしかなく、おじさんはいつの間にか女性に向かって歩いていて、気さくな様子で声をかけていた。「ええ、そうなんですかぁ」と女性も愛想よく応え、おじさんの話に聞き入っている。現地の事情に詳しいおじさんは一人旅の女性にとってナイトなのだ。たぶん。

またある町で会ったおじさんは……あ、いや、サラダの話でしたね、これから始まります……元旅人ではなく、駐在員だった。
彼に誘われ、晩飯を食べにいった。おじさんはタイが長く、タイ語も話した。
「タイ人と一緒に働くのは大変でね、日本人は誰もタイ人とは働きたがらないよ」とおじさんは断定的に言った。
「彼らはほんとのんびりしていて、いい加減だから」
海外で働いている日本人に会うと毎回似たような話を聞く。一緒に仕事をすると、日本人の目にはどの国の人ものんびりしていい加減に映るのかもしれない。

料理の注文はおじさんに任せた。現地に明るい人に会うとなんといっても食事が助かる。
もっとも、僕一人でも現地の人が食べているものを指差すというやり方で注文自体はどうとでもなるのだが、料理の正体が不明なまま食べるよりも、知ったうえで食べるほうがよっぽどいい。「“知る”はおいしい」だ。

おじさんが頼んだ料理のなかにソムタムがあった。猛烈な辛さに、酸味や甘味、ナンプラーの香りが入り混じった複雑な味が千切りのシャキシャキした野菜に絡みついている。なますみたいだけど、瓜だろうか。いや、違うな。もっと小気味よい歯触りだ。
「これなんですか?」
「ソムタムだけど」
「なんですかそれ?」
「えっ、知らないの?」
「はい」
「パパイヤのサラダだよ」
「ええっ!?」
熟れる前のパパイヤだと聞いてもにわかには信じられなかった。果実らしさがまったくない。完全に野菜だ。驚いている僕に、おじさんは心得顔で「ソムタムのソムは酸っぱい、タムは叩くという意味で、臼に入れてすりこ木で叩いてつくるんだ。調味料のほかに、唐辛子、大蒜、ピーナッツ、干しエビ、いろいろ入れて叩く。何を入れるかで味が変わるのがソムタムの魅力だね」といろいろ教えてくれる。聞いていて何かワクワクしてしまった。いやおもしろい。アフリカでハマって毎日のように食べていたあのトロッと柔らかい果肉のパパイヤが、タイではこんな繊維質のサラダになるなんて。

グローバル化やIT化で日本にいながら海外を感じられるようになり、また旅行者も情報収集に余念がなく、他人の旅をなぞるような旅ができるようになった今、現地で初めて未知のものに触れたときの、あの驚きや、ワクワクした感じは、もしかしたら減ってきているのかもしれないな、と思う。あるいは、物知りで、個性の強いおじさんたちも出る幕がなくなって、小さくなっているかも。……いや、そりゃないか。

文・写真:石田ゆうすけ

石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。