2021年10月号の第一特集テーマは「おいしいサラダ」です。自転車で世界一周を果たした旅行作家の石田ゆうすけさんは、その旅スタイルがゆえに店での食事は屋台か大衆食堂などばかりでサラダというものになかなか出会わなかったといいます。そんな旅の中でも、ひときわ記憶に残った「サラダ」とは――。
朝と晩は毎日欠かさずサラダをつくり、手製のドレッシングをかけて食べる。それぐらいサラダ好きだが、海外ではあまりサラダを食べた覚えがないし、旨かったサラダの記憶となるとほとんどない。ちゃんとしたレストランで食べていないからだろう。自転車で何年も漂泊するという種類の旅だったので、自炊以外で食べるのは屋台か大衆食堂ばかり、それらの店ではサラダは添え物程度だった。
ただ、哀しいサラダの思い出ならある。
キューバでのことだ。田舎町で、見るからに怪しい店を見つけた。ピンク色の壁に龍の顔のオブジェ、その上には「SHANGHAI」という文字。中華料理店のようだ。珍しい。キューバでは中国人にほとんど会わないのだ。首都のハバナには小さな中華街もあったが、働いているのはキューバ人ばかりだった。
なんでもキューバ革命で社会主義化されるにあたり、中華系移民の多くがアメリカに亡命したとかなんとか。真偽はわからないけれど、さもありなんだ。
店内に入ると客は一人もいず、従業員もキューバ人しかいなかった。メニューに漢字はなく、スペイン語と英語の表記だけだ。品数もずいぶん少ない。
炒飯とチャプスイを頼んだ。
油でギトギトに光った炒飯が出てきた。ご飯と一緒に炒められている具は、食紅で赤く染めたようなどぎつい色の叉焼だけだ。卵はなぜか錦糸卵状で、炒飯の上にパラパラとのっている。さらにワケギが細かく切られ、フレンチのように皿全体に散らされていた。何かいろいろ間違っているような気がする。
続いてチャプスイがやってきた。海外ではポピュラーな中華料理で、複数の野菜と肉を炒め煮にしてスープにとろみをつけた、ま、早い話が八宝菜だ。野菜不足を補うために、長旅に出るとよく食べるのだが、このキューバの店のチャプスイに入っている野菜と肉はそれぞれ一種類、きゅうりと食紅色の叉焼だけ、という変な八宝菜だった。しかも皿にたまっているのは中華スープのあんではなく、油だ。油が深々とたまり、きゅうりと赤い叉焼がオイル漬けのようにひたひたに浸かっているのだ。そしてなぜかやはりワケギが皿全体に散らされていた。
食べてみると後ろ向きに倒れそうになった。なんなんだこの塩辛さは!?海水みたいな塩分濃度だ。それに臭い。油のにおいだろうか。この店の調理人に中華料理の素養がないのは明らかだったが、料理人ですらないんじゃないかと思った。
それでも無理やりビールで口を洗いながら食べていると、塩辛さと油臭さで気持ち悪くなってきた。ハムも少し酸っぱくて臭いが、こういうハムなのだろうか?
たまらずサラダを追加した。口の中をさっぱりさせたかったし、チャプスイでとれなかった野菜を補おうと思ったのだ。
運ばれてきた「サラダ」の皿には野菜が一種類しかのっていなかった。輪切りのきゅうりだ。......この店にはきゅうりしかないんかい!
その夜から猛烈な下痢が始まった。
......うーむ、これはひどい。大好きなキューバのために、もう少しマシな話を書いておこう。
別の町では、人だかりができている店を見つけた。みんなアイスクリームのコーンカップのようなものに入った何かを立ったまま食べている。店の看板には「Ensalada」という文字。サラダのことだ。並んでも食べるという人が多い日本でも、サラダに行列というのはあまり見ない気がする。
僕も並んで購入してみた。カップの中に麺が入っている。スパゲティサラダらしい。
フォークもスプーンもつかなかったので、まわりのみんながやっているように、コーンカップごとかぶりついてみた。カリッとしたカップの歯触りに甘い小麦粉の香り、次いで口内にあふれる冷たいスパゲティサラダ。......あれ、旨いな。マヨネーズで和えたスパゲティの中にいろいろ入っている。ハムにチーズ、にんじん、それにこの爽やかな香りは......パイナップルだ!
いや、いいバランスだなぁ。コーンカップの"器"のクランキーな歯触りも、サラダの絶妙なアクセントになっている。人が群がるわけだ。
正直、これまでキューバの料理は素朴なものばかりで、喜びや感動が少なかったのだ。もしかしたら初めて創意工夫を感じた料理かもしれない。
ただまあ、ちょっと小品すぎるけれど......。
文・写真:石田ゆうすけ