2021年9月号の第二特集テーマは「蕎麦は夏。」です。世界を自転車で一周した旅行作家の石田ゆうすけさんは日本以外でも、ソバを麺状にして食べる料理を見かけたと言います。はたして日本の「蕎麦」と同じ味わいだったのでしょうか――。
ソバの原産地は中国南部という説が有力で、日本に入ってきたのははるか縄文期らしい。
粥や蕎麦がきといった形で食べられていたソバだが、400年ほど前、つまり江戸時代に変わる頃から蕎麦きり、つまり麺状にして食べることが広まっていった。穀物のソバをどうやったらもっとおいしく食べられるか、つまり、より美味なほうへと洗練されていった結果、麺という形に至ったんじゃないだろうか。
しかし、それではなぜ海外ではソバを麺にして食べる文化が生まれなかったのだろうか。ソバのあの風味を味わうには理想的な食べ方だと思うのだが。
と常々思っていたのだが、世界をまわってみると、海外にもソバの麺はあった。
まずはお隣、韓国の冷麺だ。主にソバ粉とジャガイモのでんぷんでつくるらしい。
しかし情けないかな、僕はあの麺からソバの香りを嗅ぎとることはできなかった。
あるいは僕が食べたのは、たまたまソバ粉含有率の少ないものだったのかもしれない。店によってソバの割合は変わり、まったく入れない店もあるという。
イタリア北部、スイスとの国境付近の山岳地帯は、小麦の栽培に向かないため、ソバがつくられ、ソバのパスタがある。「ピッツォケリ」という幅広のパスタで、ゆでたキャベツやジャガイモなどの野菜、およびチーズとバターを和えて食べる。
自転車で世界を放浪していたとき、僕はその地を訪れている。しかしスイスから続く下り坂の途中だったので、スピードにのったまま駆け抜け、ソバのパスタという珍しいものを食べる機会を逸してしまった。実にもったいないことをした。
不思議なのは中国だ。ソバの生産量がロシアに次いで世界2位なのに、5ヵ月近く同国を自転車で旅してもソバの料理を一切見かけなかった。ソバはもっぱら輸出にまわされているのだろうか?
ところが、ソバ研究の第一人者、俣野敏子さんによると、中国は「ソバの利用法の多様性にかけてはこれはもう世界一ではなかろうか」と著書の『そば学大全』のなかで語り、ソバの麺だけでも複数紹介している。ただし、料理名にソバとつかないことも多く、現地の中国人でさえもソバを使った料理か否かの判断が難しい、と書かれていた。それならお手上げだ。更科蕎麦のように、ソバの実の中心部だけで打った白い麺が、味の強い中華のスープや餡にからまって出てきたりすると、ソバが原料だとはなかなかわからないだろう。
もっとも、日本の田舎蕎麦そっくりの黒い麺もあるらしい。ソバの栽培が盛んな中国北部、内モンゴル自治区の麺で、孔のたくさん開いた容器にソバ粉の生地を入れ、トコロテンのように押し出してつくる。これに具入りスープをかけて食べるようだ。
僕は内モンゴル自治区に行っていないので、それがどんな味で、地元でどれぐらい人気なのかはわからないのだが、以前、知人の中国人の妻から「昔はソバでつくった黒い麺が中国全土にあって、子どもの頃はよく食べていたけど、小麦粉の白い麺のほうが好まれていた。ソバの麺は貧乏人が食べるものという印象だった」という話を聞いた。
ブータンの中東部ブムタンは、標高が高くて冷涼なため、やはりソバの栽培が盛んで、ソバ粉のパンケーキがよく食べられているのだが、ソバの麺もあった。「プタ」という。
断面が丸いから、このプタもトコロテン式なのだろう。でも黒っぽくて、表面が少しごわごわしていて、日本蕎麦に近いように見える。いや、そもそもソバからつくった麺であれば、なんのことはない、それは"蕎麦"じゃないか、と思いつつ食べてみた。
「.........」
まったく蕎麦ではなかった。バターと唐辛子と山椒のようなものに和えられたそれは、蕎麦というよりもスパゲティ、それもアメリカで食べたようなのびきったスパゲティに近かった。しかもコシがないだけでなく、歯触りもボソボソしていて、どうも垢抜けない。さらにはなぜかソバの風味もあまり感じられなかった。
ソバの産地以外では、このプタを目にすることはなかった。「地産地消」を地でいくブータンだが、味が万人から好まれていれば、全国に広まってもいいはず。ブータンにも当然車はあり、流通網があるのだから。
ちなみにこの「流通」は次回への伏線で、この前編も実はある壮大な(?)仮説に向かって書いています。ということで、後編に続く。
文:石田ゆうすけ 写真:中田浩資