シネマとドラマのおいしい小噺
ロースかヒレか、ヒレかロースか|ドラマ『孤独のグルメ Season9』

ロースかヒレか、ヒレかロースか|ドラマ『孤独のグルメ Season9』

映画やドラマで強い印象を残す「あのご飯」を深堀りする連載、第五回目。愛すべき孤高の食いしん坊・井之頭五郎が主役の人気シリーズを取り上げます。

松重豊が演じる井之頭五郎。営業で訪れた街を歩き食事処を見つけ、思う存分料理を味わうことを至上の喜びとしている。観る者の食欲を刺激してやまない、“飯テロ”ドラマの先駆であり決定版だ。

シリーズを重ねて10年目、新たなシーズン9は五郎がマスク姿で登場。彼も私たちと同じいまを生きているのだと、いつも以上にリアリティを感じてしまう。

第一話、いつものように仕事を終え、すきっ腹を抱えて店を捜し歩く五郎。長い坂を上り、夕暮れの風にはためく白い暖簾をくぐる。そこは川崎の住宅地にあるとんかつ店だ。

五郎は店内をすばやく見回すと、店のたたずまいをチェック。L字型の幅広カウンターに数人の客、そこから見える厨房で主人とおかみさんが立ち働いている。先客が食べている料理をちらちらと目の端で確認し、同時に厨房の様子もさりげなく窺う。初めて入った店で期待と不安がせめぎあい、全身アンテナ状態でおいしいものを探し当てようとする緊張感がみなぎる。

席につくと、マスクを下げお茶を一口ごくり。マスクを直し、さて、とメニューを見やる。一見のひとり客が浮かないようつとめて平静を装っているが、心の中の“五郎モノローグ”は熱さを増す。真剣さと気迫ですでに振り切れそうなテンションだ。

壁に木札がかかり、毛筆でメニューが書かれている。「ひれかつ御膳」「ロースかつ御膳」は、それぞれ「たっぷり」「ふつう」「ちょっと少なめ」と3種類用意され、これらが店の看板メニューであることは明白。五郎は身体をひねり壁に向かって全メニューを確認したのち、ロースかヒレの二択、と心を決めた。

さて問題はそのあとだ。ロースにするか、それともヒレか。誰もがとんかつ屋で直面するロース・ヒレ問題である。
五郎も激しく狂おしく迷う。脂身を愛する彼は迷いを振り切るようにロースを注文しようとした瞬間、別の客のひれかつ御膳が目の前に登場。常連らしい若い男性が「ここで食べてからヒレカツに目覚めた」と言うのを聞くと、またも心はグラグラと揺れ始める。

「王道のロースか」「目覚めるヒレか」。五郎とともに観ているこちらも迷い、脳内をロースとヒレが行ったり来たりする。

そろそろタイムアップだ。五郎は「ロ」という形の口のまま、翻して「ひれかつ」と言葉を発した。そう、それでいい。常連客が絶賛するメニューを注文するのが正解だ。

ここからは待つ時間も楽しい。すり鉢に入った白ゴマをじゃりじゃり擦る手に力がこもる。厨房の中では油がジャーっと音を立て始めた。もうまもなくだ。

ついに五郎の前にしずしずと置かれるひれかつ御膳。山盛りの千切りキャベツにパセリとレモンが添えられ、そのすそ野に鎮座するひれかつは、こぶし大もあるジャンボサイズ。ざっくり大きめの衣をまとっている。

いよいよマスクを外す五郎。決然とした手つきでソースを上から垂らし、上半分にかかったところでぴたっと止め、その上からぱらぱらすりごまを落とす。割り箸を入れると衣に当たり、ザクザクと音がする。

一口目は大きくガッと行ってみる。歯に当たった衣が割れる音、続いて口の中でもバリバリ割れていく。そこで到達した肉の柔らかさに、驚嘆する五郎。

「うわぁ、こんなに柔らかいの。こ、れ、は、、、。うんうん。う、ま、い」
心の声は少年のように、感動の色に満たされていく。

見ための迫力と中身の繊細な柔らかさ。このギャップとサプライズ感がいい。エレガントなひれかつを「淑女」と命名した五郎は、さらに塩とマスタードで食べ進む。肉の旨味がさらに引き立ち、淑女の魔性の虜になっていくのだった……。

ーーどこで何をどのように食べるのか。大の男が真剣に逡巡するプロセス、そのひとつひとつの行為を目の動きから口の動かし方まで、実に緻密に描いていくドラマである。仕事を終え、食べたいものを自由に選び、最高においしいと思う食べ方で食べる。これ以上の幸せがあるだろうかと思わせる。

五郎は箸の上げ下げから、食べ物を口に入れ口の中で咀嚼するに至るまで食べ方の所作が美しい。そして注文した料理を最後まで余すことなく丁寧に味わう。その姿から、店と料理に対するリスペクトがひしひしと伝わってくる。五郎とともに、次の街でまたおいしいご飯を食べに行きたくなるのだ。

おいしい余談~著者より~
シーズン1で紹介された地元のお好み焼き店は、いまも行列のできる人気店です。まっしぐらにお店入って行くお客さんを見ると、しっかり下調べをしてきた五郎さんファンなのだろうなと思います。微笑ましく、番組の人気のほどを実感します。

文:汲田亜紀子 イラスト:フジマツミキ

汲田 亜紀子

汲田 亜紀子 (マーケティング・プランナー)

生活者リサーチとプランニングが専門で、得意分野は“食”と“映像・メディア”。「おいしい」シズルを表現する、言葉と映像の研究をライフワークにしています。好きなものは映画館とカキフライ。