2021年8月号の「スパイスとカレー。」ではネパールの定食である「ダルバート」を紹介しました。旅行作家の石田ゆうすけさんもネパールを訪れた際にダルバートを食べたそうですが、なんとも心安らぐ体験をしたそうです――。
本誌8月号の特集は「スパイスとカレー」で、ネパールの定食「ダルバート」のことも紹介されていたが、まさかdancyuでダルバートの記事を読む日が来るとは思わなかった。それほどまでにスパイスとカレーというテーマが今はキテる、ということだろう。
ダルバートの「ダル」は豆スープ、「バート」はご飯のことだ。豆スープのほかに、各種カレー、野菜のスパイス炒め、青菜炒め、漬物などがワンプレートにのる。
dancyuへの掲載が意外に感じられたわけは、カレー料理のなかでもダルバートはとりわけ素朴で地味な印象があるからだ。ダルは味噌汁のようにサラサラで味も薄いし、他のおかずもあっさりしていてパンチがない。でもだからこそ毎日食べても飽きない、ホッとするような優しい味わいともいえ、食は人と社会を映す鏡だな、と感じさせられたものだった。
前回書いたように、自転車でユーラシア大陸を東進し、日本を目指していた僕にとって最初のカレー文化圏はパキスタンで、次にインド、それからネパールだった。
インドはなかなか疲れるところだった。町の中心部に入ると車の大渋滞にクラクションの大合唱、その中を縫うように人が濁流のように流れ、野良牛が悠然と歩き、少しでも隙間があればリキシャ(自転車タクシー)がジャリジャリンとベルを鳴らしながら入り込んでくる。そうしてすぐに自転車も人も詰まって、動けなくなる。道路全体がまるで満員電車だ。そのカオスの中で停まっていると、リキシャがうしろから「早よ行け」とばかり僕の自転車にガンガンぶつかってくる。振り返って「進めんわ!」と怒鳴ってもケロッとし、少し時間がたつとまたガンガンぶつかってくる。
そういう国を約2ヵ月旅してちょっと疲れたな、という状態でネパールに入った。すると人の様子がガラリと変わった。肌は浅黒いのだが、顔はどことなく日本人に似ていて、はにかみやで、優しい目をしている。眼光がギラギラしていたインドから来ると別世界だ。
首都カトマンズに着くと、旅行者の集まるタメル地区を散策し、目についた安宿の戸を叩いた。シングルで1泊150ルピーだという。日本円で約200円。十分安いが、1ヵ月泊まったら1泊100ルピーにならないかお願いしてみた。昔のジャニーズみたいなヘアスタイルの可愛い兄ちゃんはウーンと困った顔をして奥に引っ込み、そのあとニコニコ笑いながら現れ、「OK」と言った。
1ヵ月休養し、原稿を書こうと考えたのだが、いざ泊まってみると部屋が寒かった。厚い布団があるから夜寝るのは問題ないが、原稿を書くのが辛い。宿の兄ちゃんがいつもニコニコして感じがいいのでもう1日我慢したが、やっぱり仕事にならなかった。2泊した翌朝、やむなく宿を変えたい旨を兄ちゃんに伝えた。彼は寂しそうな顔をしたあと「OK」と言った。
荷物をまとめると、申し訳ない気持ちから逃げるように立ち去ろうとしたのだが、兄ちゃんは僕を呼び止め、「はいこれ」とお札を渡してきた。100ルピーだ。え?
「300ルピーくれたでしょ」と彼は言う。
最初1泊150ルピーと聞き、2泊分を渡したのだ。そのあと1ヵ月泊まる約束で1泊 100ルピーにしてもらったが、それを反故にしたのだから、2泊で300ルピーと考えるのが普通だろう。でも兄ちゃんは、1泊100ルピーにしたのだから2泊で200ルピー、もらいすぎているから100ルピーを返す、と言うのだ。押し問答したが、彼はやはり朗らかな笑顔で「いいからいいから」と受け取らなかった。
宿を移ったあと、街をぼんやり歩いた。外国人観光客の集結地であるこのタメル地区には、こぎれいなカフェや、日本食レストラン、イタリアンなど、旅行者向けの店が所狭しと並んでいる。日本を離れて6年半になる僕も、カトマンズに着いた初日こそ日本食を食べたが、不思議となんの感動もなかった。ここで食べたい味じゃないんだなと思った。
細い路地を入っていくと、粗末な家に囲まれた広場が現れた。地元の料理を出す店が立っており、外のテーブルでおじさんたちがダルバートを食べている。タメル地区にもこんな店があったんだ。僕は嬉しくなって同じものを頼んだ。リキシャ乗りのおじさんが「外国人が来るなんて珍しい」とえらく喜んでいる。さらに彼らと同じように右手ですくって食べ始めると、その慣れた手つきに全員が感心したような目を向けた。ひとりが僕に「Yes, This is nepali food」と言った。みんな笑っている。柔らかい空気だった。ああ、だからこの味がしっくりくるんだな、とダルバートを食べながら思った。
文:石田ゆうすけ 写真:出堀良一