シネマとドラマのおいしい小噺
それがどうした、うまいから食え

それがどうした、うまいから食え

シネマとドラマで強く印象を残す「あのご飯」を深堀する連載。第四回は、香ばしい揚げ油薫るアカデミー賞受賞作です。

2019年にアカデミー賞3部門を受賞した本作は、60年代のアメリカ南部に残る人種的偏見を浮き彫りにする実話だ。

黒人天才ピアニスト・ドク(マハーシャラ・アリ)と、運転手兼用心棒のイタリア系白人トニー(ヴィゴ・モーテンセン)。二人がぴかぴかのキャデラックに乗り込み、南部のコンサートツアーへと旅立つところから物語が始まる。

人種も性格も正反対の二人は相容れず、何かにつけ険悪な雰囲気になってしまう。そんな二人の違いは、食べ方にもよく現れている。

ピアニストのドクは旅先のホテルでもシルクのスーツに身を包み、一人静かにスコッチウイスキーを飲む。哀愁を漂わせ人を寄せつけない雰囲気は、明るくやんちゃなトニーと対照的だ。

一方運転手のトニーは、とにかくよく食べる。モーテルの部屋で、40センチ近いビッグサイズのピザを片手で折り畳み、そのまま食らいついている。

そんな二人の車がケンタッキー州に入った途端、大食漢のトニーの眼が輝き始めた。あのフライドチキンの本場にやってきたのだ。

当時、全米で急速に拡大しつつあった“カーネルサンダースのおいしいチキン”。トニーは看板を目ざとく見つけ、いそいそとバケツ一杯のフライドチキンを買い込んできた。

右手でチキンを掴み、左手でハンドルを押さえながら運転を続けるトニー。てのひらより大きな、脂ののったジューシーなチキンが、車の振動でひらひら揺れる。大口で噛みつくやいなや、たまらず大声が出た。

「いままで食った中で最高だ。新鮮でうまい!」と、本場の味に子供のように大はしゃぎ。車内はチキン・フレーバーと油の匂いがみっしり充満し、トニーは後部座席のドクの鼻先に「うまそうな匂いだろ」とチキンをぐいぐい押し付ける。

油でじっくり揚げたチキンは、そもそも黒人のソウルフード。白人が食べない骨の多い部位の調理法として、工夫されたものだ。南部はまさにフライドチキンの本場であり、その味をドクと分け合おうと誘いかけたわけだ。

ところがすべてにおいて黒人らしからぬドクは、フライドチキンを食べたことがないと言う。チキンを目の前にぶら下げられても、「皿とフォークがない」「私の毛布に脂が付く」と抵抗するので、トニーのいらいらがついに爆発した。

「それがどうした。うまいから食え」

観念したドクは指先でチキンの端をそっと挟み、口をすぼめてかじってみる。生まれて初めて味わう、揚げたてチキンの味。ドクは無言のままゆっくり食べ続けると、二つ目の大きな胸肉にも手を伸ばす。頬が緩み、ついに笑顔がこぼれた。

トニーは、常に食べたいものを好きなだけ食べる主義。彼の生命力の源は旺盛な食欲にある。そんなタフなトニーと揚げたてチキンが、孤独なドクの心をこじ開けたのだ。

その後、ドクは行く先々で激しい人種差別にさらされる。過酷な体験の中で、二人の間に信頼と友情が芽生えていく……。

そして、ついに壮絶な旅を終えた二人。ドクが向かう先はトニーの家だ。その手には、寂しさを紛らわすいつものウイスキーではなく、友と味わうためのシャンパンが抱えられている。長い旅の果てに行きついたその姿に、胸がじんと熱くなる。

おいしい余談~著者より~
二人が立ち寄ったケンタッキー州の店に、まだあのサンダース像は見当たりません。創業者をアイコンにする戦略は、その後日本で生まれたもの。さらにサンタクロースの衣装を着たサンダース像に惹かれ、クリスマスにチキンを食べる習慣が日本に定着するのは、この物語よりだいぶ後のことになります。

文:汲田亜紀子 イラスト:フジマツミキ

汲田 亜紀子

汲田 亜紀子 (マーケティング・プランナー)

生活者リサーチとプランニングが専門で、得意分野は“食”と“映像・メディア”。「おいしい」シズルを表現する、言葉と映像の研究をライフワークにしています。好きなものは映画館とカキフライ。