2021年6月号の特集テーマは「じゃがいも愛」です。自転車で世界を旅した旅行作家の石田ゆうすけさんは、じゃがいもの原産地であるアンデス高地を訪れました。さぞかし豊かな地だと思っていたら、広がっていたのは荒涼とした大地。そこで味わった原点の味とは――。
じゃがいもは南米のアンデス高地が原産地とされる。コロンブスが新大陸を発見するまで、旧大陸の人間は誰も口にしたことがなかったわけだ。
16世紀にヨーロッパに伝わると、その生産性の高さから、やがて各地で主食として広まっていくのだが、19世紀中ごろには病害によってじゃがいもの大飢饉に見舞われ、依存度の高かったアイルランドでは100万人ともいわれる人が亡くなった。
一方、ヨーロッパより早くからじゃがいもを食用としてきた南米ペルーでは、そのような飢饉は起こらなかったとされる。伝統的に多品種栽培が行われ、全滅を防いでいたというのだ。
そんなペルーには3000種以上のじゃがいもがあり、100種類以上が栽培されているという。
ペルーの市場を歩くと、それらの話が自然と頭をよぎった。色や形の違うじゃがいもが見本市のように何種類も並んでいるのだ。
じゃがいものほかに、トマトや西洋かぼちゃもアンデス高地が原産とされている。野菜たちの母なる地というイメージを僕は持っていた。
アンデス高地は、標高4000m前後に広がる平坦な高原だ。海抜0mの砂漠地帯からそこに自転車で向かった。
坂道がくねくねとカーブを描き、空に向かって際限なくのびていた。途中からは舗装が消えてひどい悪路になり、何度も足をついては自転車を押して歩く。
「野菜の母なる地」らしき土地は一向に現れず、どこまで行っても荒涼としたハゲ山だった。木々はなく、生えているものはとげとげしい草ばかり。見るからに土地はやせて乾いていた。数々の野菜が誕生した地にはとても見えないのだ。
上り坂は100㎞強続き、3日かけて一気に標高4200mまで上ると、アンデス高地に入った。高度障害で頭が割れるように痛くなり、顔がパンパンに腫れ、少し動いただけでも息が上がったが、高地で2日も過ごすと高度順化し、自転車もこげるようになった。
アンデス高地に入ってからも砂漠のような大地が延々と続き、野菜の母なる地のイメージからはやはり程遠かった。もっとも、野菜の原種といっても元は野草だったわけで、肥沃な土地で生まれたと考えるのがそもそも間違っているのかもしれない。あるいは、厳しい環境で生まれ、生き残った種だからこそ、世界じゅうに広がる強さがあったということか。
土地の見た目には意外な思いを抱いたものの、この地で野菜スープを口にしたときは、まぎれもなくここがじゃがいもの原産地なのだと感じた。
さいの目にカットされた野菜が澄んだスープにたくさん入っていて、さまざまな食感と味を楽しめるのだが、その中でじゃがいもの旨さは際立っていた。裏ごししたマッシュポテトにバターを練り込んで固めた固形物――そんなものを思わせるほど、ねっとりした歯ざわりとコク、そして強い甘みがあり、ストンと胸に落ちるものがあった。
植物の原種は、地味や気候をはじめ、必要な要素がすべて偶然重なって誕生する。原産地はその作物にとって理想の環境であるばかりか、その作物をおいしくするパワーを持った、奇跡の土地のようなものなんじゃないだろうか。アボカドの原産地であるメキシコでアボカドを食べたとき、あまりの旨さにそんなファンタジーを頭に描いたのだが、ペルーでじゃがいもを食べたときは、なんの疑いもなくはっきりとそう感じた。市場にじゃがいもが何種類もあったように、食堂で出されるじゃがいもも色や味が毎回のように違ったのだが、どれも共通して口内で強く香り、味が濃かったのだ。
文・写真:石田ゆうすけ