大のつく食いしん坊である書店員・新井さんにも、どうにも食欲の無い日はあるようで……。“食べる書評”最終回は、そんな時にじんわり効く、静かな時間について。
どうしようもなく体が疲れた日は、冷えたジョッキで生ビールを飲む。1杯を飲みきる頃には、枝豆だけでいいと言った口で、人が頼んだ唐揚げを頬張っている。明日になれば、すっかり回復しているパターンだ。
どうしようもなく心が疲れた日は、温めた茶器で中国茶を飲む。香りを吸い込み、何杯も何杯も流し込むうちに、自然と茶菓子が欲しくなる。ドライフルーツや飴がけのナッツ、葱が入った塩っぱいクッキーがあればエンドレスだ。明日はもう、大丈夫だろう。
その日はどうも調子が悪く、珍しく食欲がなかった。しかしそんな時に限って、前々から友人と新大久保で韓国料理三昧をする約束をしていたのである。自分から言い出したくせに、待ち合わせの場所に着いても、サムギョプサルや純豆腐に食指が動かない。参鶏湯すら喉を通らなそうだし、大好きなコーン茶も、今の私には重たすぎる気がする。
思い切って友人に打ち明け、行き先を変更してもらうことにした。ふと頭に浮かんだ、中国茶が飲めるカフェ、西早稲田の「甘露」だ。
ポットの中でゆっくりと花が開く工芸茶を飲み、広東式のやさしい牛乳プリン「双皮奶」を、ちびちび時間をかけて口に運んだ。友人は私に構わず、点心が付いたランチセットをぺろりと平らげ、茶を飲みながら、私の茶杯が空くと、自然に茶を注ぎ続けてくれた。だから私は、心に抱えた心配事を、ようやく打ち明けることができたのだ。話せてしまえば、いつもの食欲が戻り、帰りに新大久保でキンパをテイクアウトした。
千早茜の小説『ひきなみ』では、勤め先の上司から嫌がらせを受けている主人公が、心をすっかり疲弊させて、食欲を無くしていた。そんな時に、小学生の頃、親の事情で一時的に暮らした島で出会い、唐突に別れたきりだったった友人と再開する。相変わらず食欲は無かったが、彼女に連れられ、昼ご飯を食べに入った店で、中国茶を飲んだ。そして、ポタージュスープのような中華粥を、ゆっくりゆっくりレンゲで口に運んだ。その間、友人は黙って茶を飲んでいてくれた。話をするまで、待ってくれる人がいる。だから彼女はもう、きっと大丈夫だろう。
それほど親しくない人との食事は、気を使うものだ。食べるペースや量を合わせたり、沈黙しないように会話を続けたりしなければならない。極論を言えば、人はひとりで食事をするのが、最もストレスがないはずなのだ。
それでも、気の合う人が当たり前のように付き合ってくれる食事は、何よりも心を軽くする。
文:新井見枝香 イラスト:そで山かほ子