“食べる書評”は第24回。別れと出会いの季節、春。かつての酒の席で卒なく振る舞っていた新井さんは、ニコニコしながら、内心モヤモヤしていたようで。
歓送迎会に忘年会、昇進祝いに誕生日会。以前勤めていた書店は酒飲みが多かったため、何かにつけては居酒屋で頻繁に飲み会を開いていた。
手頃な値段のコースは、大皿に盛ったチョレギサラダやフライドポテト、鶏の唐揚げに焼きうどんといった、やたらしょっぱくて油っぽいだけの料理だ。飲み放題のビールはバケツみたいなピッチャーに入っていて、ぬるいし気が抜けている。ぎゅうぎゅうの個室では、誰もが喋るから負けじと声を張り上げ、大声で笑ってひっくり返るから、ピッチャーが倒れ、グラスが割れ、「もう二度と来てくれるな」と顔に書いた定員に追い出された。それでもめげずに店の前で円陣を組むと、ぐでんぐでんになった店長による三本締めでようやくお開きになるのだ。
そんな飲み会を、私は楽しんでいたのか、無理をしていたのか、よくわからない。全く酔えてはいなかったが、始終笑って話していたし、料理を取り分けるのも取り分けてもらうのも苦手だったが、そういうものと割り切って、当たり前にこなしていた。
漫画『違国日記』は、姉夫婦が事故で亡くなり、残された15歳の一人娘「朝」を、小説家の槙生が柄にもなく引き取ってしまうところから始まる。自分らしく生きるというより、そういう風にしか生きられない槙生は、しばしば他人から誤解されるし、両親を失った「朝」が伯母に期待するような、わかりやすく優しい言葉をかけてあげることもできない。
最新の7巻では、その二人のサポートを担う弁護士・塔野が「他人と食事をシェアすることができない」と、槙生の元恋人・笠町に告白している。
学生時代は、男社会特有の「おれの酒が飲めないのか」的な苦労も絶えなかったが、うまくやり過ごすことをしなかった(できなかった)おかげで、誰からも誘われなくなっていく。たいていの人間は、身近な社会から無視される存在になることを恐れるものだ。自分の形を変えてまで、しがみつこうとしてしまう。私だって、バカげていると思っても、頑なに拒むより楽だから、ヘラヘラ笑ってお酌をしてあげていた。だから、自分の考えを持ち、不器用にもそれを貫く人を見ると、居心地が悪くなるのだ。
しかし『違国日記』を読むうち、塔野には塔野の、槙生には槙生の、自分とは違う苦悩があると知る。そういう風にしか生きられない人が、腹を括って生きているだけなのだ。
私は居酒屋で「女子はそういうもん好きだよな」と言われながら、小さくカットされたパッサパサのチョコレートケーキをうれしそうに食べていた。こんなクソ不味いケーキは食べたくない、と言わなかった自分も、私なりの苦悩を抱えて、生きてきたのだ。そんな自分を、それほど嫌いにならなくてもいいのかもしれない。
文:新井見枝香 イラスト:そで山かほ子