はらぺこ本屋の新井
だから、昼に酒を飲んだ

だから、昼に酒を飲んだ

食と酒と本の連載、第22回。世界が変わり、人々の日常が変わり、本屋の新井さんは、昼の居酒屋に入った。

生まれ育った台東区の鶯谷には、駅前に「信濃路」という、年中無休で24時間営業する居酒屋があった。メニューは豊富で、朝から200円のかけそばで腹を温めたり、昼に550円のカツカレーライスで手頃な定食屋のように使ったりすることができる。だがその隣には、ポテサラやハムカツをつまみに、ハイボールの中をおかわりする人もいる。

一般的に、酒は夜に飲むものだ。しかし、日が暮れるまで待てない、日が昇っても飲むのを止められないダメな大人たちがいる。両親ともに酒を飲まない環境で育った私には、駅前の「信濃路」がダメの巣窟に思えていた。

その禁忌を破ったのは、先日大阪へ出掛けた時のことだった。知り合いの目がない旅先だから、というわけではない。むしろ人の目が気になったからこそ、昼に酒を飲んだのである。

大阪府のコロナ感染者が爆発的に増えた頃だった。散々迷った末、開催自体が危ぶまれていた好きなバンドのコンサートに、新幹線に乗って駆け付けることにした。客席は通常の半分以下である。

開演は18時だから、会場を出るのは21時を過ぎるだろう。それから飲み屋が立ち並ぶ横丁へ繰り出せば、二度漬け禁止の串カツ屋や、新鮮なモツ焼きを安く売る立ち飲み屋は、混雑は免れない。たとえ店員がマスクを外さなくても、肩を触れあう酔客たちが、酒を一口飲むごとにマスクをするとは思えなかった。気の合う仲間と美味い酒を飲んで、無言でいられるわけもなかろう。

そこで思いついたのが、昼酒だ。ランチタイムから通し営業をする居酒屋は「ハッピーアワー」などと謳って、アイドルタイムに酒を安く提供していることがある。つまり、そうでもしないと客が来ないわけだ。そういう時間を狙えば、比較的安全に飲めるのではないか。大体なぜ休みの日まで、律儀に夜を待たねばならぬのか。同じような時間に出勤するから満員電車になるわけで、同じような曜日に休むから行楽地は芋洗い状態になる。ちょっとずつずらせば、みんなが快適で安全だ。

豚足が有名な人気店で、柔らかくほどける豚足と、舌の串焼き、ガツ刺しを頼み、ビールの大瓶を空にした。案の定、客の数は店員より少ないほどだった。ドアがない屋台のような作りで、換気も抜群だ。口のまわりをテラテラさせて席を立つと、空はまだ明るく、ほどよく酔った目には眩しかった。

益田ミリさんの『今日の人生2』は、前作『今日の人生』に続く、日記のように日々の出来事を綴ったコミックエッセイだ。カフェで隣の席の人たちの会話が耳に入り、思いがけず何かを学んだ日。横断歩道があったけれど、歩道橋を渡りたくなった夕暮れの日。

それらの積み重ねが、益田ミリさんの人生だ。今日という単位で意識してみれば、人生は思ったより自分次第で、思ったより、他者や環境に影響を受けている。

だから今を生きる我々には、コロナが流行した「今日の人生」が積み重なっていく。漫画の中の益田ミリさんは、ある日突然、マスクをして散歩をしていた。その前のページと大して変わらない、散歩途中にすれ違う小学生のことを描いているのに、何の説明もなく、マスクをしていた。全くコロナとは関係のないエピソードにこそ、コロナが強く意識される。

私はコロナが流行したから、昼に酒を飲んだ。価値観はコロコロと変わるし、つらいばかりの日々でもない。そんな今日が積み重なって、私の人生となっていく。

今回の一冊 『今日の人生2 世界がどんなに変わっても』益田ミリ(ミシマ社)
へこんだ気持ちにゆっくりと空気が入っていく。深呼吸を忘れていた。『今日の人生』から3年半。この間の「日々」に、書き下ろし「ポーランドごはん」を加えた待望の第2弾。

文:新井見枝香 イラスト:そで山かほ子

新井 見枝香

新井 見枝香 (書店員・エッセイスト)

1980年、東京生まれ下町(根岸)育ち。アルバイト時代を経て書店員となり(その前はアイスクリーム屋さんだった)、現在は東京・日比谷の「HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE」で本を売る。独自に設立した文学賞「新井賞」も今年で13回目。著書に『この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ』(秀和システム)、『本屋の新井』(講談社)など。