2021年5月号の特集テーマは「食堂」です。一昨年ミャンマーを訪れた旅行作家の石田ゆうすけさんは、ニュースを見るたびに現地の人々を思い出すといいます。その中でも鮮明に記憶に残っている少女とは――。
今月のテーマは「食堂」だから、いろんな国にたくさんエピソードがあるのだが、ミャンマーの話をもう一話だけ書きたい。
軍の暴走により、罪もない人や、無限の未来を持っていた子どもたちが次々に殺されている現在のミャンマーだが、僕が行った2019年時は、少なくとも表向きには、明るい展望しかないような国だった。
ヤンゴンから、約700km北にある観光名所「バガン遺跡」に向かって、自転車で走り始めて7日目のことだった。
乾季の真っ只中、毎日快晴が続いていた。青い水彩絵具でベタ塗りしたような空の下、草原が果てしなく広がっている。まっすぐな一本道が地平線に向かってのびていた。その上でひとり、ぽつんとペダルをこいでいる。大陸横断でもしているようなスケール感だ。国土の面積は日本の約1.8倍もある。
小さな町に着いた。
食堂の屋外の席に座り、「モヒンガー、ぺーバー」と頼む。
「ぺーバー」は「下さい」で、「モヒンガー」はミャンマーの麺料理だ。米粉でつくられた細麺に、ナマズで出汁を取ったスープをかける。濃厚な旨味のあるスープが、さっぱりした米粉の麺や、トッピングである揚げ物、ゆで卵、パクチーなどと複雑に絡み、とんでもなく旨い。日本でそのまま出してもはやるんじゃないかなと思う。
食べ終わってコーヒーを頼むと、お湯の入ったカップとインスタントコーヒーの小袋がテーブルに置かれた。自分で小袋を破ってお湯に入れ、スプーンで混ぜてつくる。
小袋の中には砂糖とミルクも入っていて、普段はブラックしか飲まない自分には顔をしかめるような甘さだが、暑い国に来ると不思議と甘ったるいミルク入りコーヒーがおいしくなる。現地で広く親しまれているものがやはり、その地で飲むには適しているんだなと感じる。
お盆を頭にのせた物売りの少女が近づいてきた。10歳ぐらいだろうか。この国では小さな子供がよく働いている。学校は行っていないのだろうか。
きれいな目をした利発そうな少女だった。天然のおしろい「タナカ」を頬や鼻に塗っている。
彼女は頭の上のお盆を下ろし、僕に見せた。ゆでたウズラの卵、サモサのような揚げ物、そして発泡スチロール製の四角い容器に入った何かがのっている。その容器はひとつずつビニール袋に包まれていた。袋は半透明だが、容器の蓋がとじられているので中は見えない。
僕はその包みを指して「ディーハバーレー(これは何)?」と聞いてみた。
少女は「モパトゥ」と遠慮がちに小さな声で言った。
初めて聞く名だ。中を見ていいかい?と身振りで尋ねると、彼女は複数ある包みのうちのひとつをテーブルに置き、ビニール袋から容器を出して蓋を開け、中を見せてくれた。表面がかすかに透明がかった餅のようなものがシロップに浸かっている。これがモパトゥか。見るからに甘そうで、正直あまりそそられなかったが、彼女の澄んだ瞳を見返したら断れなくなった。
1個ちょうだい、と伝える。彼女は一瞬考えるような顔つきをしたあと、容器の蓋を閉めて袋に戻し、新しい包みを僕に渡してきた。驚いた。年端も行かない少女が、手間も惜しまずにそうしたのだ。きっと相手の気持ちを想像し、「まだ開けていない商品のほうがお客さんも喜ぶだろう」と考えたのだ。僕がすんなりそう思えたのは、この国に来てからこれまで何人もの人たちが、こちらの気持ちを察して手を貸してくれたり、言葉をかけてくれたりしたからだった。ミャンマーの人々は本当にやさしかった。
何年も前のことだが、世界一周をしたドイツ人の友人が「旅をしてよかったことはテレビを見ていて、あらゆる国際ニュースが身近に感じられることだ」と話し、僕も我が意を得たりと同意したことがあった。
ミャンマーは行ってきたばかりだからなおさら、軍の凶弾に斃れる人々の映像に手が震え、胸が苦しくなり、あの少女や、そのほかたくさんの人たちの顔が鮮明に蘇ってくる。
自分とは関係のない人たちじゃない。
どうか、どうか凶行が止まりますように。
文・写真:石田ゆうすけ