2021年5月号の特集テーマは「食堂」です。どの国でも美味しい食堂はあったけれど、まず頭に浮かぶのは、美食の大国「中国」だと旅行作家の石田ゆうすけさんはいいます。“外食”に飢えていた石田さんが「しあわせ」を感じた食堂とは――。
食堂の"幸福度"が大きかった国は、と考えると、まず頭に浮かぶのが中国だ。初めてこの国の食堂で食べたのはもうずいぶん昔のことになるが、涙が出そうなほど感動したのでいまでも鮮明に覚えている。ちょっとした事情がある。
ロンドンから日本に向かって、ユーラシア大陸を自転車で横断したのだが、トルコからは(内戦前の)シリア、ヨルダン、レバノンなどいわゆる中東諸国に寄り道し、イランからはトルクメニスタンやウズベキスタンなど中央アジア各国を走った。つまりトルコから中国に入るまで、ずっとイスラム教の国だったのだ。
どの国の料理も悪くなかった。絶品と思えるものもあった。だがすぐに食傷気味になり、食べることに楽しさを見出せなくなった。
イスラム教の国は概ね外食産業が弱い。料理の種類だけでなく、店の数も少ないのだ。とりわけ政教一致でイスラム色の強いイランは、京都のような一大観光地でさえも、食堂やレストランを探すのに苦労するほどだった。
イスラム教の教えにアルコールは飲むべからずとある。料理をおいしくする"媚薬"を嗜む習慣がなければ、外食文化はあまり育たないのかもしれない(一応断っておくと、イスラム圏の料理が未成熟といっているのではなく、あくまで外食の話だ。家に招かれて出される料理はバリエーション豊かで実においしかった。)。
そういった地域を約8ヵ月旅したあと、中国に入ったのだ。最初の町の宿に投宿したあと、歩いて街を散策し、ある路地に入った瞬間、仰天した。夥しい数の食堂が通りの両側にびっしりと並び、白い湯気をもくもくと上げ、カンカンシャーシャー!と中華鍋とお玉の当たる音が路地中にけたたましく鳴り響いているのだ。
「き、来た......」
荒野を歩いていたら、いきなり目の前に原色だらけの賑やかな遊園地が現れた、そんな気分だった。
地に足がつかないようなふわふわした思いで迷路のような路地を彷徨し、適当に店を選んでドアを開けると、4人の男女が客席でトランプをしていた。従業員のようだが、不機嫌そうな顔で僕をねめつける。「何しに来た?」と言わんばかりだ。客はひとりもいない。油で汚れたテーブルに、黒ずんだ壁、場末感たっぷりの暗い店内。出よう。瞬時にそう思ったのだが、彼ら全員が僕を見たのでタイミングを逸した。
仕方なく席につくと、4人のうちの紅一点がお茶とメニューを持ってきた。引き締まった口元が冷たそうだが、ちょっと気になる美人だ。瞳は潤んだように光っている。
各テーブルに立てられているメニューを見た瞬間、目を丸くした。漢字で埋め尽くされている。こんなに料理の種類が多いなんて。文字を見ているだけで早くも満たされたような気分になった。
《麻辣豆腐》《白飯》《啤酒》を指して彼女に見せる。3つで7.5元、日本円でなんと100円ちょい。ちなみに「啤酒」はビールだ。中国に入る前にその言葉だけは人に聞いて覚えておいた。
まずはその啤酒をぐび、とひと口。コクはないが爽快、走行後に飲むにはちょうどいい。
さて日記でも書くか、とノートを開いたところで料理が運ばれてきて、えっ!? とのけぞった。いくらなんでも早すぎるだろ。......さてはつくりおきを出しやがったな。なんという店だ。従業員はやる気も愛想もないし、完全に店の選択を間違えたらしい、とくさくさしながら食べてみると、「いいっ!?」と前のめりになった。豆板醤、唐辛子、山椒、ゴマ油、エトセトラ、幾種類もの香りと旨味とコクが混じり合って調和し、淡泊な味の豆腐にからみついている。なんという壮大なシンフォニー。しかもこんなやる気のなさそうな店で!
それまで約8ヵ月、イスラム圏の外食の、どちらかというとシンプルな料理ばかり食べていた舌には衝撃的な味だった。
テンションが爆発し、無我夢中で食べていると、さっきまで気だるい表情をしていた従業員たちが興味深そうな顔でこっちを見ているのに気付いた。
「ハオチー(おいしい)!」
親指を立ててそう言うと、みんなの顔がフッとゆるんだ。女性が茶を注ぎ足しにきてくれる。彼女もさっきまでの冷淡な印象とは一転、潤んだ瞳がますます輝いているのである。僕は言わずにおれなかった。
「ニー(あなた)ピャオリャン(美しい)!」
男たちがドッと笑い、彼女はばつの悪そうな顔をする。それを機に彼らは次々に話しかけてきた。だが僕が知っている単語は、「おいしい」と「美しい」だけだ。その二語を食堂で連発すればすぐに現地に溶けこめるため、どの国でも最初に覚えるのだ。
彼らからの質問に、僕はすべて「シー(はい)、シー、ハオチー!」と笑顔で答えた。そのうち彼らも「ダメだこりゃ」という表情を浮かべるのだが、入店したときとは打って変わって店内には明るい活気がたちこめているのである。
みんなに手を振って外に出ると、再びカンカンシャーシャーの音の洪水に、わきあがる白い湯気、"食"の大気にワッと包まれた。そのなかをあてどもなく歩く。足が再びふわふわ軽くなってくる。ああ、これが旅だ、とほろ酔いの頭で思った。明日はどんな日になるだろう。想像するだけでワクワクし、いてもたってもいられなくなるのだ。
文・写真:石田ゆうすけ