笑顔が弾ける素敵な人のお話。豊洲市場の文化団体「銀鱗会」の事務局長である福地享子さんが、2018年11月までdancyu本誌で執筆していた「築地旬ばなし」の転載です。
数枚のなかから迷うことなく選んだのは、笑いがはじけている写真。これがいちばん「らしい」。
黒田珠代。愛称タマちゃん。1968年生まれ。社員5人の仲卸「玉越」の社長になって、3期目の決算が過ぎた。午前0時分起床。犬の散歩とファクス注文をまとめて店に入るのが2時。それからの10時間は、仕入れのチェック、注文の仕分け、得意先への電話、客の応対とめまぐるしく過ぎる。私、タマちゃんが座っているのを見たことがない。
男社会の河岸だけど、実は女性の社長もそんなに珍しいことではない。昔も……。伝説の社長を紹介しよう。
そのひとは「黒田のママ」と呼ばれた。帳場必須の読み書き、そろばんの才に恵まれ、大の負けず嫌い。ひとの心をつかむのが、これまたうまかった。小僧さんでも大声で叱りとばしはするが、あとは「ついておいで」で、パーッとごちそうする。板前修業の若い衆がくれば、「包丁、勉強しなよ」と、残品の魚を持たせて帰す。「ママに育てられた」と、店はそんな思い出を持つ客で繁盛した。73歳で亡くなるまで現役で、一周忌は河岸の連中40人が集まっての大マージャン大会だった。ひとに好かれて好いて。河岸の空気を愛し、思いっきり生きたひとだった。
タマちゃんは「黒田のママ」の孫である。社長になったのは、家族会議でそう決まったからだ。「あたし、こんな風だからさぁ」と笑い転げるばかりだが、性格、言動すべてがおばあちゃんそっくりなことが理由のように思う。10年このかた、タマちゃんを見てきて、そう思うのだ。
睡眠2~3時間の毎日に、「よく生きてるねっていわれるけど、自分でもそう思うよ」と、他人事みたいに言って笑いはじけるタマちゃん。この数年で、笑顔はどんどんよくなっている。「黒田のママ」に追いつけ追いこせの笑顔だ。
文:福地享子 写真:平野太呂
※この記事はdancyu2015年10月号に掲載したものです。