季節を感じるサヨリの話。豊洲市場の文化団体「銀鱗会」の事務局長である福地享子さんが、2018年11月までdancyu本誌で執筆していた「築地旬ばなし」の転載です。
仲卸の「濱長」で働き始めた20年ほど前のこと。社長には、よく寿司をごちそうになった。得意先のご機嫌伺いのお供である。お供には、それなり苦労があるのは世の常でして。「オイ、フクチ。なんで寿司がうまいかわかるか」などといきなり聞いてくる。気の利いた答えを探していると「今、食ったのを反復してみろ」と。えーとですねえ。「あー、なに考えて食ってんだ」と舌打ちである。
「白身を食ったろ。マグロも。寿司ってのは、よくできてんだ。白身、赤身、光物があって、酢〆に煮物にと、な、口が飽きない。最後の卵は、デザート。会席と同じなんだ」
とまあ、こんな調子。落ち着いて食べることなぞできやしない。
でも寿司を食べ続けて半世紀、という社長の話は納得いくもので、確かに、口が飽きない。それまで、光物なぞ敬遠気味だったけど、お供するうち、すっかり好きになっていた。
光物というのは、寿司独特の魚分類法で、コハダ、アジ、キス、サヨリなどがそのグループだ。皮目が光っているから光物。今も東京湾で獲れており、寿司はそんな小魚を握ることで始まった。
季節感があるのも特徴で、今ならだんぜんサヨリだ。ほっそりとして、くちばしの先には紅がポッチリ、魚界きっての美形である。腹のいたみが早いので、河岸には、「水氷」といって、塩水に氷を入れたなかに浮かべてやってくる。かじかむ指で仕分けするうち、細長い藻を水底に見つけたりする。岸辺に生えるアマモだろう。春、サヨリは、そうした藻に卵を産みつけるのだ。河岸の春は、こんなとこに隠れている。
大きなサヨリは「かんぬき」の名で呼ばれるが、寿司屋さんが好むのは、片身一カンで握れる小ぶりなもの。薄皮をはいで、身を二つ折りにして握る。皮下の光は、まるで海の輝き。食べたのちの鼻に抜ける余韻は春浅き日の光のように、柔らかい。
10年続いたお供寿司。社長は、河岸を引退して姿を見せない。今なら、ちっとはましなこと言えそうなのに。
文:福地享子 写真:平野太呂
※この記事はdancyu2018年3月号に掲載したものです。