2021年2月号の特集テーマは「煮込む。」です。セルビアを訪れた石田さんは、とある男性に熱烈な歓迎を受けました。そこで口にした、国を代表する煮込み料理とは――。
海外では、煮込み料理によく豆を入れる。アメリカのチリコンカンに、フランスのカスレ、ブラジルのフェジョアーダに南アジアのダル、また、中東ではたびたび家に招かれたが、結構な割合で豆を煮込んだ料理が出された。
一方、日本の煮込み料理を見ると、肉じゃが、筑前煮、ブリ大根、おでん、シチュー、カレー……家や店にもよるだろうが、あまり豆が入るイメージはない。普通に入るのはヒジキ煮ぐらいか。
この違いはなんだろう、と考えると、すぐに思い当たった。日本の豆、とくに大豆は、ふんだんにある大豆原料の加工品、すなわち豆腐、納豆、醤油、味噌、等々で消費され、煮込み料理にまでまわらなかったんじゃないか。同様に大豆加工品の多い中国や韓国でも、豆が入った煮込み料理は見かけなかった(もちろん僕が見なかっただけかもしれないが)。
チリコンカンはひき肉と玉ねぎ、そして豆をトマトで煮込み、チリパウダーなどで味付けした料理だが、その歴史をさかのぼると、豆は肉のたんぱく質の代わりで、ボリュームの"かさまし"の面があったようだ。ほかの煮込み料理の豆も、起源をたどればそういった面があったのではないか。豆が煮汁に味や香りをプラスする印象はあまりない。
以上が伏線で、ここからが本題。セルビアの話だ。
人々の陽気さにかけてはイタリアに並ぶかあるいは上回るか、と思うほど明るい国で、みんな大声でよく笑う。
首都のベオグラードでは30代と思しき男性に声をかけられた。ボイヤンと名乗る彼は、荷物満載の僕の自転車を見て目の色を変え、「今から仕事に行かなきゃなんないんだけど、電話をくれ、必ずくれ!」と番号を書いたメモを渡して去っていった(このとき朝だった)。
町の観光を終えて夕方電話すると、奥さんが出て弾んだ声を出した。
「ああ、やっとかけてくれたわね! 夫が職場から電話をかけてきて、まだかまだかってうるさいのよ。今晩の宿決めてないんでしょ。家にいらっしゃい!」
朝ちょっと立ち話しただけなのに、なんという歓迎っぷりだろう。
聞いた住所に行ってみると、家には生後3ヶ月の赤ん坊がいた。新婚らしい。そんな家によく素性のしれない小汚い外国人を招いたものだ。
夫のボイヤンが帰ってきた。僕を見るとニカーッと笑う。
「ようし、今日はパーティーだ! 外にメシを食べに行くぞ!」
「えっ、いいよ、いいよ」
「いや、今日は記念日なんだ!」
「なんの?」
「俺たちの結婚1周年さ!」
ぽかんとした。奥さんも心から歓迎しているような顔をしている。どうやら日本的な遠慮は、ここではあまり価値がないみたいだ。
その夜、赤ん坊を親に預け、イタリアンレストランで彼らの新婚一周年を、なぜか僕も一緒に祝い、そのあとクラブに行って明け方まで騒いだ。
翌日は昼に目が覚め、結局そのままもう1泊することになった。
ボイヤンが電話で誰かとしゃべっている。セルビア語だから何を言っているのかわからない。ときどきガハハハ!と爆発するように笑う。つられてこっちまで笑ってしまう。
ボイヤンは電話を切ったあと言った。
「ユースケ、テレビ出演が決まったぞ!」
ははは。って先に相談しろよ!
このテレビ出演もおもしろかったのだが、本題からますます逸れていくので、割愛。
煮込み料理の話だ。
彼らの家に来て2日目のこの日、奥さんが「パスリ」という手料理を出してくれた。豆と燻製肉を煮込んだ、セルビアの伝統料理だという。
スープは茶色く濁り、味も豆ならではの田舎っぽさがあるのだが、悪くない。腹もふくれる。
ボイヤンが笑いながら言った。
「軍のメシさ」
「え?」
口の中で少し味が変わった。
「軍にいたときは毎日食べていたよ」
「………」
この素朴な豆の煮込み料理に、たんぱく質供給源という意味がふいに加わり、いかにも軍の料理という感じがした。
民族間の火種がくすぶり、紛争が続いた国だ。徴兵制も残っているし、空爆で崩れ落ちたビルも見られる(いずれも旅行当時。徴兵制は現在は撤廃)。
少し冷めた豆スープをすすりながら、底抜けに明るいこの国は、光の部分がまぶしい分、余計に影が暗く見えるのかもしれないな、とぼんやり考えていた。
文・写真:石田ゆうすけ