シネマとドラマのおいしい小噺
火を噴くハマグリが甘くしたもの|ドラマ『愛の不時着』

火を噴くハマグリが甘くしたもの|ドラマ『愛の不時着』

シネマとドラマで強く印象を残す「あのご飯」を深堀する連載、第二回。

『愛の不時着』観たさにネットフリックスに加入した人は、周囲でも数えきれない。今もランキング上位に君臨する、コロナ禍の大ヒットドラマとなった。

主人公は北朝鮮のエリート将校・リ・ジョンヒョク(ヒョンビン)と、韓国の財閥令嬢ユン・セリ(ソン・イェジン)。役者陣の繊細な演技力にうなり、北朝鮮・ソウル・スイスと国境をまたぐ愛のストーリーに時間を忘れてのめり込む。そして要所要所に登場する料理が、物語を動かす重要なエピソードとなっている。

中でも強い印象を残すのが、北朝鮮の食事シーン。共同の炊事場、かまどのある台所や地下の食糧倉庫など、どこか懐かしい風景に心惹かれる。住民同士は親密で、何かにつけ和気藹々と食卓を囲むのが日常だ。想像したことのなかった北の国の食べ物に引き込まれていく。

ある晩。中隊長の自宅の裏庭に、手のひらサイズの特大ハマグリがゴロゴロと転がっている。中隊長と部下たちは、日頃から飲食を供にする家族のような関係。そこに、ソウルから迷い込んだセリが加わった。隊員たちはてきぱきと手際が良く、こんな夕食会が日常的に行われていると知れる。

地面に並んだ貝の上からガソリンをかけ、火種を落とすとたちまち「ボワッ!」と大きな音がして、炎が上がる。殻つきの貝がまるごと火だるまになり、ワイルドなキャンプさながらだ。突如大きな炎に包まれ、セリは度肝を抜かれてしまう。そんな彼女を面白がるように、隊員は大きく口が開いた貝を手渡す。

仕方なく手のひらに貝殻を載せ、顏を近づけて巨大ハマグリを口に押し込む。いままで火を噴いていた熱々のハマグリの、ジューシーな汁が口の中でいっぱいになる。セリの顔色があれっというように変わった。

間髪を入れず空いた貝殻に焼酎を注ぎ入れ、そこから飲めとセリを促す隊員。

「ソーヴィニヨン・ブランしか飲んだことがないのに」
セレブらしい台詞とともに飲んだ途端、セリの驚きは最高潮に達する。
「砂糖を入れた?甘いわ」

韓国では、焼酎を「甘い」と表現することがよくある。それは、最高級の褒め言葉。ハマグリの出汁と焼酎が溶けあい混ざり合い、一瞬にして白ワイン党のセリを虜にしてしまった。

そうなるともう誰も彼女を止められない。貝殻に焼酎を注ぎ足し、すっかりおしゃべりになったセリは、たまらなくチャーミングだ。たった一人で異郷に迷い込み、こわばっていた心が、甘い酒によって甘くほどけていく。

土地の食材を、その土地の作法で味わう。一期一会のおいしさを分け合った仲間と、心を通わせる。甘い酒がもたらした彼女の飾らない素顔を、そっと見つめる中隊長の視線が優しい。料理と酒は、人と人の垣根を取り払い感情を繋いでいく。

火を噴く貝と甘い酒を分け合った記憶があるからこそ、この先二人は、信じられないようなタフな試練を乗り越えていけるのだ。そしてそれは、人生の普遍的な道理なのだと思えてくる。

おいしい余談~著者より~
魅力的な料理がたくさん登場する本作。ソウル篇では何かにつけて仲間とチキンの唐揚げを食べます。一緒にジョッキのビールをぐいっとやるのが定番で、甘辛のヤンニョム味など、ソースの種類が多いのが韓国風。そのチョイスからもまた、物語が生まれるのです。

文:汲田亜紀子 イラスト:フジマツミキ

汲田 亜紀子

汲田 亜紀子 (マーケティング・プランナー)

生活者リサーチとプランニングが専門で、得意分野は“食”と“映像・メディア”。「おいしい」シズルを表現する、言葉と映像の研究をライフワークにしています。好きなものは映画館とカキフライ。