シネマとドラマのおいしい小噺
ジェラートとシャンパンに太陽を

ジェラートとシャンパンに太陽を

観ているとお腹が鳴ってしまう、映画やドラマの中の食べものたち。その引力を読み解く連載がスタートします。

ラブロマンス映画として、いまだ不動の人気を誇る『ローマの休日』。主人公は、身分を隠しローマの街を歩く王女アン(オードリー・ヘプバーン)。スクープ狙いの下心で近づいた新聞記者のジョー(グレゴリー・ペック)は、天真爛漫でピュアな彼女に、次第に心惹かれていき……。

1950年代に製作された作品が、これほど長く愛されている理由の一つは、当時のハリウッド映画としては異例の海外オールロケにある。コロッセオなどローマの名所が次々に映し出され、憧れの街として観客の心を強く惹きつけた。中でもスペイン広場は、この作品に最も欠くことのできない場所。ここでイタリアン・ジェラートが世界デビューを果たすのだ。

束の間の自由を満喫する王女が、広場の階段を昇りながら、片手に持ったジェラートをいきなり舐める仕草にドキっとする。ついさっきカットしたばかりの短い前髪が初々しい。身も心も軽やかになり、階段の途中でくるりと踵を返しフレアスカートのすそを翻す。片足を石の上にかけ空を仰ぎ、胸を張ると再びジェラートにかじりつく。誰にも束縛されない時間をジェラートとともに存分に味わう彼女の喜びが、スクリーンいっぱいに広がる。

実に清々しく解放感にあふれた、世紀の食べ歩きシーンである。それは自由な創作活動を希求し、不可能と思われたロケを敢行したウィリアム・ワイラー監督の想いと、実は深く結びついている。

スペイン広場はその後、アンを真似てジェラートを食べ歩く観光客が押し寄せる。いわゆる聖地巡礼の先駆けだ。今では飲食禁止になってしまったが、それだけ、このシーンに胸を掴まれた人が多いということ。

階段の途中でジョーに遭遇したアンは、臆せずジェラートを食べ続け、堂々と会話を交わす。二人の恋物語はこの瞬間から始まる。

そしてお次は、ジョーとともにコロッセオ前のオープンカフェへ。箱入り王女にとってはもちろん初体験。ロールパンをちぎっては口に入れ、飲み物のオーダーを聞かれると「シャンパン」と即答する。懐具合が気になりあわてるジョーと対照的に、背筋を伸ばしグラスに口をつけるアン。太陽を浴び風に吹かれてお酒を飲むことを、全身で味わっている。

王女としての生涯で、ただ一日だけの恋物語と彼女はわかっていたはずだ。だからこそ、ジェラートもシャンパンも意志を持って味わうアンの姿に胸を打たれる。食べること、飲むことを自分らしいスタイルで楽しむ。それがどれほど幸せで素敵なことか、70年前のマドモアゼル・アンが教えてくれる。

おいしい余談
ジェラートに目がありません。カップでお行儀よく食べるより、圧倒的にコーン派。アンはコーンに差し掛かると、そこで食べ終えてしまいますが、私は最後までコーンを食べ切ります。

文:汲田亜紀子 イラスト:フジマツミキ

汲田 亜紀子

汲田 亜紀子 (マーケティング・プランナー)

生活者リサーチとプランニングが専門で、得意分野は“食”と“映像・メディア”。「おいしい」シズルを表現する、言葉と映像の研究をライフワークにしています。好きなものは映画館とカキフライ。