世界の○○~記憶に残る異国の一皿~
突然ふりかかった災難を乗り越え味わった"アヒ・デ・ガジーナ"|世界のおいしい店②

突然ふりかかった災難を乗り越え味わった"アヒ・デ・ガジーナ"|世界のおいしい店②

2020年12月号の第一特集は「おいしい店100」です。前回はナポリのピッツァという、日本人にも想像しやすい料理でしたが、今回登場するのはペルー料理の「アヒ・デ・ガジーナ」。このあまり聞きなれない料理をたべたのは、石田さんがとある災難にあった後だったといいます。一体どんな災難だったのか、そしてその料理の味とは――。

日本人シェフが現地で開くレストラン

ペルー料理は旅行者から人気が高い。
代表料理の「セビチェ」などはたしかに誰が食べても旨いと唸るんじゃないかなと思う。生の魚やエビを野菜とレモン果汁で和えた魚介類のマリネだ。爽やかな味で、キリッとした辛口の白ワインに合う。

野菜スープの「ソパ・デ・ベルドゥーラ」にも感心させられた。どうってことのないスープだが、野菜、とくにじゃがいもが旨い。ほくほくして味が濃くて甘い。
じゃがいもの原産地はアンデスだ。原産地で食べる野菜はたいてい旨い気がする。地味や気候など、あらゆる条件が奇跡的に重なって植物の原種が誕生する。作物を"おいしくするパワー"みたいなものが原産地にはあるんじゃないだろうか。世界を旅しているとそんなことを思う。

このペルーに、忘れられない店がある。
かつてインカ帝国の首都だった町、クスコのレストラン「プカラ」だ。
オーナーシェフはなんと日本人。フレンチを学んだシェフが、ひょんなことからペルー料理に魅了され、現地に渡って修業し、1988年に店をオープンさせた。

アヒ・デ・ガジーナという料理がある。黄色い唐辛子と鶏を煮込んでつくったソースをご飯と共に食べる。ぱっと見はカレーライスのような料理だ。
これを初めて食べたのは、強盗に襲われた直後だった。
ひと気のない砂漠を自転車で走っているとき、突然現れた3人組の強盗に拳銃を腹に押し当てられ、殴る蹴るの暴行を受けたあげく、服を脱がされ、腰に巻いていた貴重品ベルト、ならびに自転車以外のすべての荷物を強奪された。

彼らが車で去ったあと、よろよろと立ち上がり、ヒッチハイクをして100km先の町の警察に行き、盗難証明書を作成してもらった。そのあと、いろんな人に助けられ、夜行バスで約800km南の首都リマに向かうことになった。日本大使館に行ってパスポートを再発行してもらわなければならない。

夜行バスは「プリメーロ(一等)」と書かれた上等なバスで、夕食に弁当まで出た。アヒ・デ・ガジーナだった。
月明りに青白く浮かぶ砂漠を車窓からぼんやり眺めていた。助けてくれた人たちへの感謝、身ぐるみはがされた失意、犯人たちに対する怒り、無人の砂漠ルートを選んで走ってしまった後悔、これからどうすればいいんだという絶望、あらゆる感情がごちゃまぜになって茫然としていた。食欲もなかった。それでも食べなきゃ、とアヒ・デ・ガジーナを口にした。ほとんど味がしなかった。僕は不感症のようになっていたのだ。自分を守るために脳がそうしていたのかもしれない。

リマに着いてからは、「宿代は出るときでいい」と言ってくれる安宿に長逗留し、再出発に向けて準備を始めた。パスポートやカード類の再発行を申請し、少しずつ装備を揃えていった。しかしモチベーションは一向に上がらなかった。腹に押し当てられた拳銃の硬い感触や、強盗たちの血走った眼が頭から離れず、恐怖に覆われていたのだ。

35日後に無理やり再出発した。
物音にびくつき、気配を恐れ、人を疑った。重い旅が続いた。
ある日、アンデス山脈の山中でペルーの家族が家に泊めてくれた。6人の子供たちは最初恥ずかしそうにしていたが、少しずつ近づいてきて、キラキラした目で突然の珍客を見つめた。僕は久しぶりに朗らかな気持ちになれた。

リマを出て3週間後、標高4000mの峠を必死の思いで越え、「まだまだやれるかもしれない」とかすかな手ごたえを抱きながらクスコに下りていった。
そうして、かねてより聞いていた店「プカラ」を訪ね、看板料理のアヒ・デ・ガジーナを食べたのだ。

とんでもない旨さだった。不思議な香ばしさとクリーミーなコク、ほのかな甘さ、光の粒を撒いたようなかすかな辛さ、そして鶏のふくよかな旨味、それらが複雑に絡み合った、奥行きのある味わいだった。これほど緻密で、洗練された料理がペルーの地方都市で食べられるなんて。
胸の奥に漂っていた鬱屈が、このときばかりは雲散霧消して、一気に晴れわたり、強盗事件以降初めてといっていいぐらい陽気なエネルギーが湧き上がってきた。一部の特別な料理が持つ力だ。どんな状況でも、人を笑顔に変える料理がある。幸福な気持ちにさせる力がある。実際、僕はこのとき、泣きそうな気持ちで笑いながら、夢中で食べていたのだ。
それにしても、フレンチの技術を持つ日本人シェフがペルー料理をつくるとこういう味になるのか、と心底感嘆させられもしたのだった。

※トップ画像は「プカラ」とは別のアヒデガジーナです。

文:石田ゆうすけ 写真:久保田 翔

石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。