東京・神楽坂にある「あげつき」には、並んででも食べたい、薫り豊かでやわらかなとんかつが楽しめます!午後に備えるランチタイムに、仕事上がりの労いに、いいことがあったときのご褒美に。旨いとんかつ店を知っていれば、人生は最高になる。
覚悟しておいてほしいが、とにかくじらされる。行列をなす店に入るまでに数十分、オーダー後も最低30分はおあずけ状態。だが、それだけの価値は、確かにある。
店主の保科剛さんが惚れた豚は、宮崎産の希少種である南の島豚で、脂は甘く、旨味が強くまろやか。その中でも繊細な肉質と味わいのヒレは、しっとりとした上機嫌を保つのが難しく、今でも揚げるたびに緊張する相手だそう。だから扱うときは慎重に、優しく、どこまでも紳士的に接する。最初は、ちゃんと揚がっているのかと不安になるほど、油の中で静かにゆっくりと遊ばせる。高温で二度揚げをして、余分な油をきってからも、蒸らしのためにひと休み……を経て、ようやく対面だ。
近づくと華やかな薫りがして、触れるとどこもかしこも柔らかい。くどさのない旨味がしっかりと感じられる。「蒸すための道具」という衣は、味も食感も主張しすぎず、油は後味がすっきり。名脇役たちに引き立てられた主役の肉が清々しい香気を放っていて、パンチのある揚げ物というより、品の良い肉料理といった風情になる。待ち焦がれて会っても期待を裏切らず、むしろ夢中にさせる「いい女」なヒレかつ。時間をかけて育て上げる保科さんは、なかなかの策士だ。
文:辻歌 写真:渡部健五
※この記事の内容はdancyu2018年10月号に掲載したものです。