駒沢の住宅街の一角にある「イル ジョット」ではジビーフに近江牛、愛農ナチュラルポークなどさまざまな貴重な肉を味わえます。
燃えさかる炎が牛の塊肉を囲い込む。炭との距離はわずか1cm。こんな焼き方、見たことない。
焦げない?焼けすぎない?ハラハラ待つと、やってきたのは真紅の光を放つ一皿だった。周りはカリリ香ばしく、中はしっとり潤いをキープ。これぞ、高橋直史シェフの肉焼きマジック。焼く肉がまた、一筋縄ではいかない強者揃いだ。この日は、50日間熟成させた黒毛の経産牛、北海道で放牧されて育ったブラックアンガスの“ジビーフ”、岡山県で放牧酪農とチーズづくりを行なう「吉田牧場」のブラウンスイスなど。たとえば、熟成の経産牛は舌ざわりがなまめかしく、凝縮された旨味と香りが噛めば噛むほどあふれ出る。乳牛のブラウンスイスは優しく清らか。瑞々しい弾力は、草原で深呼吸するような気持ちよさだ。
そんな至高の肉を目当てに、世田谷の住宅街まで肉好きが集まってくる。「メインディッシュのオーダーは8割が肉料理。肉を中心にしたコースのリクエストが入ることも多いですね。でも、うちはもともと魚のほうが人気だったんですよ」と苦笑いする高橋さん。ええっ!?肉じゃなかった??
聞けば、転機は開店11年目の2012年。料理を担当した知人のパーティーで、偶然出会ったのが滋賀県の精肉店「サカエヤ」の新保吉伸さんだった。肉の話で意気投合し、しばらくするうちに、肉を送ってもらうようになった。
「衝撃的でした。今まで手にしたことのない肉ばかりだし、すべて骨付きの状態で熟成させている。どうおいしくするか、ひたすら研究しました」
まず設けたのは肉専用の冷蔵庫だ。よい環境で保存して使っていけば、味の変化も楽しめる。炭火による独特の火入れも、このときに生まれた手法だ。 産地にも積極的に出かけるようになった。「牛の顔を見て、育てている人の話を聞くと、その牧場の牛を前にしたとき気持ちが違ってくる」と言う。肉の会やイベントの話も頻繁に舞い込むようになり、「牛一頭を味わい尽くす」というような難しい課題ほど、生来のチャレンジャー魂がメラメラたぎる。こうした肉に向き合う時間の蓄積が、店の新たな航路を開いていった。
ただし、乗り込む船が変わったわけではない。肉に添えられた野菜まで、はっとするほど躍動的なのは、いい素材をシンプルに生かす考えゆえ。地元に根ざしたトラットリアであることも開店以来同じ。家族で誕生日のお祝いをしていたり、普段着で訪れワインと料理数品を楽しむ夫婦がいたり。その光景は修業時代から高橋さんが目指してきたもの。和やかな時間の中で、真っすぐな肉の味が体に心にしみわたる。
文:上島 寿子 写真:海老原 俊之
※この記事の内容はdancyu2018年10月号に掲載したものです。