2020年11月号の第一特集は「真っ当な酒場」です。旅行作家の石田ゆうすけさんは、キューバに訪れたときに「真っ当な酒場」に出会ったといいます。キューバの酒場とはどのようなところなのでしょうか――。
もう4年前になるが、アメリカとキューバの国交が回復すると聞いて、慌ててチケットを取り、キューバに飛んだ。
同国はアメリカの経済封鎖により、半世紀以上時間が止まったままだと聞く。アメリカの自由経済がなだれ込むと、キューバが変わるのは間違いない。その前に見ておきたい。
現地に入ってあたりを見まわすと、50年代のクラシックカーが走りまわっていた。キューバの代表的な情景だが、実際に見ると違う。全身が痺れるほど感動する。でもこれはまだほんの序の口で、田舎に行くと、なんと馬車が群れを成して町中を走りまわっていたのだ。半世紀どころか1世紀前の情景だった。
そんなキューバの酒場といえば、世界的に知られるのが首都ハバナの「フロリディータ」だ。ヘミングウェイが通った店らしい。カウンターにはヘミングウェイの等身大像があり、彼が愛したフローズンダイキリを彼と一緒に飲むことができる。
バーテンダーはダイキリをつくる際、メジャーカップを使わない。見た目はかなり適当にラムやグレープフルーツジュースや氷を入れてミキサーにかけ、グラスにどぼどぼ注ぐ。大阪のミックスジュースかよ、と思ったが、飲んでみると味がカッチリ決まっていて、へぇ、と目を丸くする。
このキューバのとある田舎町、シエゴデアビラで、今回のお題である「真っ当な酒場」に出会った。
国の"素顔"を見るために、僕はキューバにも自転車を持っていき、田舎を巡ったのだが、まさにシエゴデアビラは旅行者の来ないところらしく、店も極端に少なかった。
自転車で旅をするのは、田舎を巡る以外にもうひとつ、走ったあとのビール、言い換えれば人生の至福を味わうためでもある。それができないのは困る。しつこく店を探しまわっていると、ようやく前方に白い光が見えた。
行ってみると、ディスコかと見まがうような豪奢な建物で、入口の前には黒服のような男が警備に立っていた。どう見ても高そうだ。でもほかに選択肢はなさそうだし、キューバだからめちゃくちゃな値段をふっかけられることもないだろう。意を決し、入口に向かう。外国人はノーチェックなのか、黒服は僕をそのまま通した。
エントランスルームを抜け、店内に入ると反射的に「ヤバイ」と思った。吹き抜けの高い天井に、調度品の数々、テーブルには白いクロスの上にもう一枚柄入りの厚手のクロスがかかり、調理人は長いコック帽をかぶっていた。こりゃ想像以上に高そうだ。
大きなテーブルにひとりで座ると、バーテンダーのような恰好をした姿勢のいい女性がきびきびした所作でメニューを持ってきた。開いてみると予想通りだ。一番安いメインのポークステーキが13MNとある。米ドルと等価だから約1,500円か。キューバの物価からするとおそろしく高い。
それより驚いたのがビールだ。なんと20MN! 日本円で2,300円! そんなバカな。さすがにおかしいと思った次の瞬間、あれ? MN? ごくりと唾をのんだ。人民ペソ……。
キューバにはふたつの通貨がある。キューバ人用の人民ペソと外国人用の兌換(だかん)ペソだ。価値が大きく違う。人民ペソは兌換ペソの実に24分の1。つまり2,300円だと思ったビールは実際は100円しないのだ。ステーキにいたってはなんと60円ちょい。外国人の僕に地元の人向けのそのメニューを渡すとは、なんて誠実な店だ。真っ当な店だ!(今回も無理やりですみません……)
キューバの店は普通、「兌換ペソ払いの店」と「人民ペソ払いの店」に分かれている。無論、高級店が「兌換ペソ払いの店」になるのだが、入口に黒服が立つこの店が「人民ペソ払いの店」だとは思いもしなかった。やはり外国人は来ない町なのだろう。そのせいかこれまでの町と比べてもはるかに安かった。この値段がキューバのリアルなのだ。この一見高級な店でポークステーキ60円というのが、キューバの外食の価値なのだ。
外国人の24分の1、その極端な差を考えると身につまされる思いがするが、神妙になったのはおそらくほんの一瞬だけで、「イヤッホウ!めっちゃ安いがな!ビールお代わりぃ!」と僕はどこまでも俗人なのだった。
文・写真:石田ゆうすけ