今回のお題“すき焼き”には、一体どんな真実が隠されているのでしょうか?私達が一度は食べたことのある、あんな料理やこんな料理には、隠された物語があることをご存知でしょうか?“知る”ことで、同じ料理が明日からちょっと美味しくなる連載をお届けします。
海外で「SUKIYAKI」を頼むと生卵が出てこない。日本人にとってすき焼きは砂糖たっぷりの醤油ソースと、溶き卵ソースのダブルソースで完結するものなので、これはつらい。お好み焼きソースにマヨネーズソースがつかないのとはワケが違うのだ。
そもそも海外の人たちは生卵を食べない。食中毒を恐れているので生=危険信仰が強いからだ。特に鶏は卵も糞も同じお尻から出てくるので警戒し、慎重である。日本の先人たちはその危険を回避する方法を知っていたのだろうか。魚を中心にもともと生食信仰が強いこともあって生卵を食べることにも抵抗がなく、そこにまたリスクが伴うなんて考えもしてこなかった。われわれは当たり前のように生卵をご飯にかけ、すき焼きにつけて食べている。
日本人が鶏の卵を食べ始めたのは表向きには江戸時代からといわれている。精力がつく食材として知られ、街なかにはゆで卵売りが登場したが、かなり貴重なものであった。別名「卵百珍」と呼ばれる寛政年間のレシピ本『万宝料理秘密箱』ではたくさんの卵料理が紹介された。「料理」本なので、ここに登場するのはすべて加熱した卵料理だが、生で食べる輩も中にはいただろうと思う。
卵が各家庭にまで広まったのは商業的な養鶏が始まった明治時代に入ってからである。そして卵を生で食べることが一般化してきたのもこの頃だといわれている。当時の家庭料理の本にはすき焼きを生卵につける食べ方が紹介されていた。しかし庭先で鶏を飼っている農家ならともかく、卵はまだまだ貴重品だった時代である。一年に食べる卵の数は一人平均個だったというデータもある。元気になりたいここぞ!というときに食べていたはずだ。
そしてちょうどその頃、文明開化とともに牛肉が広く普及し、滋養食として食べられた。
そう、すき焼きに生卵をつけて食べるようになったのは、偶然においしい出会いを発見したのが一番の理由だろうが、卵を生で食べることに抵抗感がない日本人が、すき焼きの原点である明治の牛鍋ブームとともに滋養食ダブルとして食べ始めたのではないかと見ている。生卵をつけるのは熱々のすき焼きを冷やすためという説もあるが、ならば冷やした割り下でもいいし、そうだとしても結果論的な気がする。
やがて1960年辺り、アメリカから採卵の産業が入ってきて卵は一人一日一個以上の時代を迎える。生卵信仰のある日本人は洗卵技術を磨き、2012年に発表されたデータによると、菌に汚染された卵が世に出る確率は0.00003%であった。この数字は世界に誇れる。この技術がもっと世界に出れば、海外でダブルソースのすき焼きが食べられる日もそう遠くない。
実家にはシェイカーがあった。生卵と牛乳、砂糖をそのシェイカーに入れてシャカシャカしてミルクセーキにして飲むのが思い出の生卵料理。
文:土田美登世 写真:加藤新作 料理:田中優子
※この記事はdancyu2019年1月号に掲載したものです。