2020年10月号の第一特集は「大人のフルーツ。」です。旅に病気はつきもの。旅先で苦しんだ記憶がある人は多いでしょう。旅行作家の石田さんもさまざまな体験をしてきたそうですが、その中でもマンゴーを見ると思いだす療養体験(?)があると言います――。
マンゴーは熱帯アジア原産らしい。
そうと知るまで、僕はアフリカ原産だと思っていた。特に西アフリカなどはいたるところにマンゴーの木が生い茂っていたからだ。
栽培しているというより、ほとんどは勝手に生えているのだろう。実際、熱心に収穫している様子はなかった。
野にも村にもマンゴーの群生は見られた。村のマンゴーはもちろん食用にも利用されるが、それだけじゃない。マンゴーの木は葉が密に生えるため(種類にもよるが)、木陰が真っ暗に見えるくらい濃くなり、理想的な休息所になるのだ。
乾季の西アフリカ、特にマリやブルキナファソの暑さはまさに地獄だった。自転車の旅だったから、昼は完全に活動停止になる。
このとき、道中出会ったシンジという男と一緒に旅を続けていたのだが、12~16時ぐらいのあいだはマンゴーの木陰で昼寝することにしていた。
体質に関係なく、本当に人間の活動限界だったのだと思う。村の大人たちもみんなその時間はマンゴーの木陰でぐったりしていたのだ。動いているのは子供たちだけだった。
そんなある日の朝、テントをたたんでいると、いつもとは違うだるさを覚えた。
体温を測ると37.7度。マラリア予防薬は飲んでいなかった。かかったら所持している治療薬をすぐに飲んで治す作戦だったのだ。
僕はシンジに言った。
「来たかもしれんわ」
「え、ほんまか?」
シンジはおもしろいネタを見つけたとばかり、目を輝かせている。
走りながら30分ごとに休憩をとり、熱を測った。確実に3~5分ずつ上がっている。マラリア原虫が血管内でどんどん増殖していく様子が浮かぶ。「うおお、きたきた~」と、僕もどこか楽しんでいる。
熱が39度を越えると、さすがに余裕もなくなり、頭がフラフラしてきた。地図を見ると、大きめの村まであと約20km。
「行けるか?」
「行くしかないわ」
僕の自転車が速いか、マラリア原虫の増殖スピードが速いか、勝負だ。熱でハイになった僕は疾風のごとく駆けた。
村に着いたときは歩くのもやっとの状態だった。
唯一あった病院はプレハブ小屋のような建物だったが、中に入るとそれなりに病院らしい雰囲気だった。
特に目を引いたのが冷蔵庫だ。正直、ホッとした。田舎で冷蔵庫を見ることはそうそうない。薬品の保管に細心の注意を払っているのだ。この病院はデキる。
ところが出てきた医者は、胡散臭さ満点の狸みたいなオヤジだった。
彼は僕の熱を測り、問診したあと、強いアフリカなまりのフランス語で「マラリアやな」と言った。
「……え、診察ってこれだけ?」
「そうやけど何か?」
「いや、とりあえず血液検査とかしてもらえませんか?」
マラリアかどうかの確証がほしい。でないと劇薬の治療薬を飲む気にはなれない。
狸オヤジはなぜかしぶしぶといった様子でキットを用意した。
中指の先に針を刺し、プレパラートに血を数滴垂らす。そこに薬品を混ぜ、少し時間をおいたあと、顕微鏡で覗く。
「簡単な検査や」と言っていたわりには、狸オヤジは長いあいだ顕微鏡を見ている。しかもときどき首をかしげている。おい……。
やがて狸は僕のほうに向き直り、言った。
「マラリアや」
「……どのマラリアですか?」
マラリアには4つのタイプがある。
「それはわからん」
狸はそう答えたあと、「暑いな」と言って冷蔵庫を開けた。薬品が入っているはずの庫内にはコーラと水だけがぎっしり並んでいて、僕はイスから転げ落ちた。
その病院には入院設備がなかったので(あっても入院しなかったと思うが)、僕たちは村外れのマンゴー林に行って、木陰にテントを張り、落ちてくる果実を食べながらマンゴー入院をした。野生のマンゴーは木で完熟したものでも甘味が少なく、繊維質で、たいしておいしくなかった。
5日間安静にして、なんとか症状は治まった。
しかし、マラリア治療薬の副作用は強烈で、熱が引いたあとも吐き気とめまいがしばらく続いた。
そう、これは薬の副作用なのだ。まさか違う病気だったなんてことはあるまい。
文・写真:石田ゆうすけ