世界の○○~記憶に残る異国の一皿~
砂漠に実るオアシス的フルーツ|世界のフルーツ③

砂漠に実るオアシス的フルーツ|世界のフルーツ③

2020年10月号の第一特集は「大人のフルーツ。」です。旅行作家の石田ゆうすけさんは自転車一つで世界中を旅しました。なかでも過酷な旅となる砂漠地帯で、オアシス的存在の果実がありました――。

シルクロードで出会った馴染みのフルーツ

中国の市場を歩いているとき、男たちの言った言葉にエッ?と驚き、振り向くとスイカがあったので笑ってしまった。彼らが「スイカ」と言ったように聞こえたのだ。

中国語でスイカは「西瓜」。日本語と同じだが、発音は日本語表記だと「シィーグア」になる。でもこの地方の方言がそうなのか、日本語の「スイカ」とそっくりの音に聞こえた。

中国の北西部、シルクロードを走っている。スイカの栽培が盛んで、道路脇に掘っ立て小屋が立ち、その横にスイカが積み上げられているのをよく見かけた。シルクロードを行くドライバーたちに向けて売られているのだ。

自転車で旅をする僕は、この果実に何度も助けられた。
地元の人からも「やめておけ」と言われた、真夏のシルクロード行だった。
道は全線ほぼ舗装されているが、大半が砂漠で、世界有数の灼熱地帯だ。
数十km、ときには200km近く走ってやっと集落に着く。そのたびにスイカにかぶりついて水分を補給し、体を冷やした。

スイカは熱帯アフリカの砂漠地帯が原産ということだから、もともと乾燥に強いのかもしれない。
しかし、果汁たっぷりのスイカが砂漠に山積みになっているのを見ると、不思議な気分になる。乾いた地中の水分が1滴1滴、長い時間かけて集まり、果実の中に溜まっていく......そんなイメージが頭の中に浮かび、生命のひたむきさのようなものを感じるのだった。

ある朝、宿を出ると、目を見張った。世界全体が真っ白に光っているのだ。空も大地もない。砂漠や道路は、近くは見えるが、10mぐらい先で光に呑み込まれ、それから先は白一色だった。世界中が光る濃霧に包まれているのだ。
走り出してからも"濃霧"は続いた。

黄砂だろうか。それにしては色も季節も変だ。ほぼ無風だから砂嵐とも違う気がする。
いずれにせよ、砂塵が舞い上がって濃霧のように見えていることは間違いなさそうだった。砂塵が乱反射して輝き、世界を覆いつくしているのだ。

太陽光が直接降り注がないから、暑さも和らぐかと思いきや、まったくそんなことはなかった。いつもと変わらずオーブンで焼かれるように暑い。日陰もないから逃げ場所もない。どんどん喉が渇いてくる。
水は十分に積んでいるが、砂漠では渇きへの恐れが常に意識下にある。根源的な恐怖なんだろうなと思う。

正午を過ぎて、バッグにつけた温度計が上限の50度に達する中、ひたすら自転車をこぎ続けた。意識が朦朧とし、道路や標識と一緒に、自分も白い光に包まれ、溶けていくような気がする。昇天するときはこんな気分なんだろうか。

光の向こうから、掘っ建て小屋と、その横に積み上げられたスイカの山が見えてきた。
日陰に逃げ込むように小屋に入り、木の長イスに座った。ハアハアハアと肩で息をする。口もきけなかった。
中にいたおじさんは何も言わずに、山刀のような大きな包丁でトン、トン、トン、とスイカを切って出してくれた。僕も無言でそれらにかぶりつく。口から果汁があふれ出る。水を張った桶に顔を突っ込んだような気分だった。出されたスイカを次々に平らげていった。

おじさんは、僕が食べているあいだ、ずっとタオルをゆるやかに動かしてあおいでくれた。やわらかい風が顔に当たり、額にはりついていた髪がさらさらと揺れる。口のまわりについた果汁がひんやりした。ふいに甘い感傷がわきあがってきた。
ケアされている......。
体の火照りが引いたあと、スイカの代金を払い、おじさんに礼を言って荒野に出た。
行く手は白い光に包まれていた。僕は再びその中に吸い込まれ、恍惚となる。

文・写真:石田ゆうすけ

石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。