2020年10月号の第一特集は「大人のフルーツ。」です。旅行作家の石田ゆうすけさんは、初めて食べたとき全くおいしさが理解できないフルーツがあったと言います。それはパパイヤとパッションフルーツ。しかし、アフリカでその二つの魅力に気付く体験がありました――。
海外で食べて、最初は「ん?」と首を捻ったフルーツがふたつある。
パッションフルーツとパパイアだ。
学生時代、初めての海外旅行でニュージーランドを訪れ、パッションフルーツを食べたときは、「これの存在価値はいずこ?」と尊厳を踏みにじるようなことを思った。
ビリヤードの球ぐらいの果実をナイフで切って半分に割ると、オレンジ色のゼリー状のものと、それにくるまれた5㎜ほどの黒い種がびっしり入っている。どこを食べるのかよくわからないまま、中身を種ごとスプーンですくって口に入れると、やけに酸味が強い。種は固いがまあ噛み砕けるし、苦みもないので、どうやら食べられるようだけれど、味にとってプラスの要素も見当たらず、ただただ歯ざわりを悪くしているだけのように感じる。この食べ方で合っているのだろうか?そもそもこのゼリー状の部分は食用なのだろうか?
酸っぱいばかりで歯ざわりも変だから、何かが間違っているような気がしてならなかった。
パパイアを初めて食べたときは少し傷んでいるのかなと思った。クセのある香りだ。大好きになった今は芳香と感じるのだが、最初は熟れすぎてやや臭くなったバナナを連想した。果肉はねっとりと軟らかく、爛熟を思わせる食感だが、そのわりには甘みが少なく、ぼんやりした味だ。うーむ、よくわからない。
ところが、そのパパイアが大変貌を遂げる魔法があった。
レモン汁をかけるのだ。
地元の人に聞いてやったのか、直感で自ら試したのか、今となっては思い出せないのだが、その変貌ぶりに驚いたことははっきり覚えている。クセのある濃厚な香りが、レモンを振った途端に爽快な芳香へと変わり、甘味がくっきりと立ち上がった。
アフリカ西部では原因不明の体調不良と暑熱のために、食べ物を見るだけで吐き気を催すほどの食欲不振が5日ほど続いたのだが、パパイア&レモンだけはなんとか喉を通り、ほぼ三食それで乗り切った。
パパイアはフルーツサラダにも存在感を発揮した。
バナナ、パイナップル、マンゴーなど、各種フルーツをひと口大に切ってごちゃ混ぜにする。フルーツひとつひとつを味わうのではなく、あんみつのようにハーモニーを楽しむものなので、切ったフルーツをビニール袋に入れてシャカシャカ振ってよく混ぜ、宿の共用の冷蔵庫に入れて冷やして食べた。
フルーツは何を入れてもいいのだが、パパイアだけは欠かせなかった。深みのあるコクと旨味が加わり、食べ応えが一気に増す。さらには、各フルーツの角を抑え、全体をまとめるような役割もある。五目炒飯の卵のような存在だ。ないとイマイチまとまらない。
くわえて、もうひとつ、なくても成立するが、あれば一気にフルーツサラダのグレードが上がる果実があった。
プロットが作為的すぎる気がしなくもないが......そう、パッションフルーツだ。
実はこのフルーツサラダを教えてくれたのはケニアの首都ナイロビの市場だった。場外にフルーツの露店が並ぶ一角があり、そこで出されていたのだ。
ハエが飛び回り、果実の香りに混じってすえたニオイも漂う、衛生的に結構ヤバそうな、また治安のほうは本当にヤバイところだったが、フルーツサラダのあまりの旨さに滞在中はほぼ毎日食べにいった。
店ごとに、フルーツの種類、切り方、盛り方等、多少違うのだが、どの店も各種フルーツを盛った上からパッションフルーツをかけるのは共通していた。これによって、きりっとした酸味と芳香が加わり、熱帯果実たちの味が冴えわたって、味に奥行きが出る。邪魔な歯ざわりだと思った種さえも小気味よいアクセントになっているのだ。
ニュージーランドで食べてから約8年、僕はやっとこの果実の存在価値を認め、尊重できる人になれた。
パッションフルーツは、フルーツにとって極上の"ドレッシング"なのだ。
文・写真:石田ゆうすけ