はらぺこ本屋の新井
トマトハイにもやさしい男

トマトハイにもやさしい男

書店員・新井さんが憧れるのは、30代の高校教師。だって彼ってば人間だけじゃなく、お酒にもやさしいんです。

スーパーのお酒売場の一角に、ノンアルコール商品がまとめてある。ビールやチューハイに似たアルコールテイストの飲料は、ただ喉を潤すためだけではなく、なんらかの理由でアルコールを飲めない人が、雰囲気だけでも楽しむためにあるのだろう。設定ミスなのか、購入時にレジで年齢確認が表示されることがあるのだが、そういう時は黙って「20歳以上」をタッチする。酒を買っていないのに、買ったという濡れ衣を着せられるような心地だ。しかし、スーパーのレジは忙しい。やさしい気持ちで、店員がノンアルコール商品であることに気付かないことを願うようにしている。

ピースの又吉直樹さんが、トークショーで話していた。テーブルの下で、自分の足がテーブルの脚だと思って踏まれている時、相手がそのことに気付かないように、じっと動かさずにいる、と。それはやさしさだ。「踏んでしまって申し訳ない」と相手に思わせないための、なんだか切なくなるほどの気遣いである。そういう類いのやさしさは、まず相手に気付かれないため、誰にも知られないまま終わるケースが多い。切ない。

漫画『女の園の星』の星先生は、女子校の高校教師だ。同僚に誘われた晩飯を「断食3日目なんで」と断るも、「昼に焼き肉弁当を食っていたじゃないすか」と突っ込まれれば、頑なに断ることはしない。

居酒屋では「トマトジュース」をオーダーした。しかし届いたのは、トマトハイ。仕方が無い、ここは飲み屋だ。トマト(ジュース)と聞こえたら、トマトハイを持ってくる店員を誰が責められようか。そしてそのトマトハイを「せっかくなので」と飲むことにする星先生。もし間違いを指摘したら、バックヤードで店長に叱られるかもしれない。オーダーが立て込んでいる中、混乱させてしまうかもしれない。なにより、罪のないトマトハイがジャーと流しに捨てられるのが忍びない。自分がこの一杯を飲み干せばいいだけだ。星先生は、オーダーミスのトマトハイにまでやさしさを発揮する。そして気付けば、トマトハイをおかわりしまくり、箸が転げても可笑しい、笑い上戸の状態に陥った。

こういう人を見ると切なくなる。傍から見れば、陽気に酔っ払ったお気楽な人だろうが、そこに到るまでに、トマトハイが塩っぱくなるほどのやさしさがあるとは、なかなか気付かれにくいのである。

スーパーで「0」と大きく書かれた缶を買ったら、糖質が0なだけであり、しっかりアルコールが入っていることに1口目で気付いたのだが、これをレジに持って戻って「まぎらわしい」と怒鳴り散らし、飲みかけにも関わらず返品交換を求めるような人間にはなりたくないと思った。星先生なら、きっと捨てずに飲み干す。肴もつままず空にしたら、ほろ酔い気分になった。

私は星先生のような人になりたい。どんな人にも、どんなお酒にも、やさしくありたい。現在、原稿の締め切りを過ぎている。だからノンアルコールを選んだはずだった。だが、どうも自分にもやさしい気持ちになって、それに気付かないことを願っている。

今回の一冊 『女の園の星』 和山やま(祥伝社)
ある女子高、2年4組担任の星先生。
学級日誌で生徒たちが繰り広げる絵しりとりに翻弄され、校内の犬を世話し、漫画家志望の生徒にアドバイス、時には同僚と飲みに行く……。
最高にくだらない(いい意味で)、爆笑必至な女子校教師の日常。

文:新井見枝香 イラスト:そで山かほ子

新井 見枝香

新井 見枝香 (書店員・エッセイスト)

1980年、東京生まれ下町(根岸)育ち。アルバイト時代を経て書店員となり(その前はアイスクリーム屋さんだった)、現在は東京・日比谷の「HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE」で本を売る。独自に設立した文学賞「新井賞」も今年で13回目。著書に『この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ』(秀和システム)、『本屋の新井』(講談社)など。