レストランを代表するメニュー、スペシャリテ。東京・六本木にあるイタリアン「オステリア・ナカムラ」の一皿には、店主・中村直行さんの修行時代の驚きと思い出が詰まっていました。スペシャリテに隠された、料理人の想いと誕生の秘密を聞きました。
「このパスタがね、レモンをくり抜いた器に入って出されていたんです。いま振り返ると、これぞ昔のイタリアっていう盛り付けだよね」
34、5年前のミラノを楽しげに振り返る。20代前半、初めて訪れたイタリアで、もう毎日が楽しくて遊びまくっていたという中村直行シェフだ。
「もちろん、レストランでの仕事はちゃんとやっていましたよ!見るもの全てが新鮮でした。一番衝撃だったのは、炭酸入りの水だったなあ。こんなの飲めるかよって思ったけど、数ヶ月後にはこれがなくちゃいられないほど気に入っていましたね」
そんな修業先のスペシャリテが、この「鴨のラグー レモンクリーム ほうれん草入りタリオリーニ」だった。
「初めてこの料理名を見た時は驚きました。ラグーにレモン? そもそもレモンクリームなんてパスタに合うの?疑問に思いながら恐る恐る口にすると、これが美味しい。本当に美味しい。ただただ“美味しい”って思いながら食べた思い出があります」
日本に戻って数軒の店で働いた後、六本木で独立。もう18年になる。実はこの料理は、最初はメニューに載せていなかった。
「オープンして2、3年経った頃かな。ある日ふっとこの料理を思い出してね。あれ?あのパスタ、なんでメニューに入れていなかったんだろう、って。それからはずっとメニューにあります。レモンの器で盛り付けたことは一度もないですけど、レシピはほぼ当時のミラノと同じ。レモンクリームのソースだけ、生クリームではなくベシャメルソースを中心にして、少し軽さを出しています」
口にすると、ぱあっとレモンの酸味が広がる。仕上げにぎゅっとレモンを絞っているからだろうという。赤ワインで煮込んだという鴨の挽肉が想像以上にたっぷり入っていて、それがなんの違和感もなくレモンクリームと一体になっている。酸っぱくて温かいパスタ。不思議な感じだ。
ほうれん草を茹でてピュレ状にし、粉を入れて作っているという緑色の自家製のタリオリーニ。こうした色のついたパスタも、最近はあまり見かけない。それがまた、歴史を感じさせる。ミラノの店は今はもうないというが、スペシャリテはこうして、おそらくはすでに40年、50年と引き継がれているのだ。
赤ワインが合うのか、白ワインが合うのか、メニュー名だけを見ていた時はわからなかったが、食べると答えは明確。口と気分が欲しているのは白だ。
「そうなんです。どっちでもいけると思いますが、お勧めするなら白。柑橘系の香りのする軽い白が一番合うと思いますよ」
どこまでも爽やかな鴨のラグー。いや、鴨のラグーをこんなに爽やかに食べさせるパスタがあったとは。一年中味わいたいスペシャリテである。
文:浅妻千映子 写真:青谷慶