世界の○○~記憶に残る異国の一皿~
砂漠の真ん中で出会った「トマトとビール」|世界のおつまみ②

砂漠の真ん中で出会った「トマトとビール」|世界のおつまみ②

2020年9月号の第一特集は「夏のおつまみ」です。梅雨が明けぐんと気温が上がった今日この頃。ビールがたまらなく美味しい季節となりましたが、みなさんのビールのお供は何でしょうか?石田さんはもっぱら「冷やしトマト」だと言います。冷やしトマトとビールにハマった理由とは――。

冷やしトマトとビールという快感

最近、我が家ではやっているのが桃モッツァレラだ。桃とフレッシュモッツァレラチーズをひと口大に切って皿に盛り、オリーブオイルをタラリ。ブラックペッパーを挽いて塩パラリ。
いま発売中の『dancyu』本誌9月号の巻頭特集「水牛のモッツァレラ」を書いたのだが(読んでね!)、取材先でこれを食べて全身震え、その足で桃とモッツァレラを買って帰り、同じものを家でつくって食べた。それ以来、まあ頻繁に食べている。
毎日ワインで晩酌するので(というと気取った感じがするけど、安ワインです。コスパがいいし、飲んだあとでも仕事ができるのがいい)、今夏はこの桃モッツァに一番ハマっているのだけれど、ワイン晩酌が習慣化する前、ビールに合わせていた夏のおつまみといえば冷やしトマトだった。

ロンドンに滞在中、現地で出されている日本語新聞に紀行を連載することになり、編集長(日本人)から日本の居酒屋によく誘われた。ワクワクしながら席に座ると、編集長は毎回メニューも見ずに冷やしトマトを注文する。そのたびに僕は心の中で「なんでやねん!」と突っ込んだ。せっかく日本の居酒屋に来ているのにトマトって。日本食でもなんでもないがな。っていうか料理ですらないがな。
編集長は冷やしトマトをつまみながらビールを旨そうに飲んでいた。

そのロンドンから自転車で4年かけてアフリカとアジアを走り、中国に入った。
ある日、ある観光地で風変りな爺さんに会った。上海出身の67歳で、自転車で中国一周をしているという。「見ろ」となぜか居丈高な態度で複数の新聞を次々に広げた。彼が中国各地で取材された記事だ。
「というわけだ。じゃあ俺を撮れ」
爺さんは僕にカメラを渡し、観光地の看板の前で「中国一周自転車ひとり旅!」と書いた巨大な旗を掲げた。それから僕はなかば強制的に彼の道連れとなり、名所に着くたびに彼の写真を撮る、という専属カメラマンになった。

それだけなら面白い爺さんで済むのだが、閉口したのは町に着くたびに郵便局を訪ね、旗、Tシャツ、巻紙、ノート、さらに別のノート、またノート、と大量の"スタンプ帳" をごそごそとカバンから引き出し、それらすべてに消印を押してもらうことだった。しかも「押せ。ここに押せ。これにも押せ」といちいち高圧的に指示している。局員も呆れ顔で押印する。ちょっと見ていられない。2日一緒に行動した後、別れることにした。

数日後、砂漠にぽつんと浮かんだ小さな町で、爺さんに再会した。民家の軒先で家族と一緒に夕飯を食べている。この家族にも自分が載った新聞記事を見せたのだろう。
爺さんは「お前も食べろ」と僕に席を勧めた。招かれている側とは思えない態度だ。
なのに家族は笑顔で僕を迎え、ビールを勧めてきた。灼熱の砂漠を走ってカラカラに乾いた体だ。飲んだ瞬間、叫びそうになる。次いでいくつも並んだ料理からトマトのマリネのようなものを口に入れた。えっ、なにこれ。もうひと口食べる。ああ、トマトに砂糖をかけているんだ。たぶんそれだけだ。なのに爽やかな酸味と甘味が引き立ち、乾いた体に広がっていく。追いかけるようにビールを飲む。炭酸水のように軽い中国西部のビールと、ひんやりしたトマトの爽快さが綺麗に調和した。

無遠慮に飲み食いしている僕や爺さんを、家族たちはニコニコ見ていた。中国人は文字通り大陸的で大らかだ。
父親の腕の中には乳飲み子がいた。聞けば8ヵ月だという。
そこへボロをまとったおじさんが近づいてきた。エーッ、エーッと奇声を発しながら、視点の合わない目で笑い、よだれを垂らしている。
彼はいきなり、父親の腕の中の乳飲み子に手を伸ばし、彼の髪をくしゃくしゃにかき回し始めた。ドキッとしたが、父親はつゆ動じず、子供の髪がめちゃくちゃに乱れていくのを「はは、傑作」という感じでおかしそうに眺めている。子供も頭を激しく揺さぶられながら、泣きもせず、きょとんとした顔でされるがままだ。その横で爺さんは我関せずとばかり、ひたすらメシをかきこみ続けている。乳飲み子も含めて、全員が何か突き抜けていた。
僕は必死で笑いをこらえながらトマトを食べ、ビールを飲んだ。広大な砂漠に浮かんだ小さな町のこの一点に、快感が凝縮しているのだった。

それ以来、トマトとビールが僕の夏の定番となり、居酒屋に行くとメニューも見ずに冷やしトマトを頼んでいるのだ。

文:石田ゆうすけ 写真:宮濱祐美子

石田 ゆうすけ

石田 ゆうすけ (旅行作家&エッセイスト)

赤ちゃんパンダが2年に一度生まれている南紀白浜出身。羊肉とワインと鰯とあんみつと麺全般が好き。著書の自転車世界一周紀行『行かずに死ねるか!』(幻冬舎文庫)は国内外で25万部超え。ほかに世界の食べ物エッセイ『洗面器でヤギごはん』(幻冬舎文庫)など。