ナポリタン発祥の地ともいわれている「センターグリル」。日々、ナポリタンを生み出してくれる歴戦のフライパンたちは、みな形が違っていました。なぜフライパンはユニークな形になっていくのでしょうか?
「はい、どうぞ」
矢も盾もたまらず、いただく。さよなら、アルデンテ。ふんわりとした食感。焦げるぎりぎり限界まで熱されたケチャップの香り、時折やってくるハムと野菜のアクセント。なにからなにまで、ナポリタンにもとめられているすべてが宿っている。
そして大事なことひとつ。ナポリタンについて。
それは、特別なのに特別じゃない、なのだ。
ナポリタンは、手の届かない宝石のような旨さではなくて、味噌汁のような、誰にでも懐かしいようなそんな、特殊な特別さをもっていてほしいけれど、この一皿はまさに、その究極なのである。
そして、岡戸さんは、すべての材料を、「懐かしい」「あったかい」「思い出」という目に見えない調味料をつかって、仕上げてくれるのである。最高なのだ。
さて、ナポリタンは一説にはここが発祥とも言われているのである。よく巷間耳にするのは、横浜の「ホテルニューグランド」がオリジナル、という話である。しかし、「ホテルニューグランド」のそれは、ケチャップをつかっているものではない。ケチャップを使った、日本人の最大公約数的ナポリタンの元祖はどうも、ここが最初らしいのだ。
話は、センターグリルの初代である石橋さんの祖父の独立前の時代にさかのぼる。トマトソースをつかったナポリタンを生んだのは、ホテルニューグランドの二代目シェフだったが、その師匠は初代総料理長サリー・ワイルであった。ワイルはニューグランドをやめた後、同じ横浜で「センターホテル」というホテルのオーナーシェフとなった。石橋さんの祖父はそこで修行を積んだ。「センターグリル」の「センター」の由来はそこにあり、センターホテルの経験をふまえて、ケチャップをつかったナポリタンをつくるようになったようなのである。うむ、これは、たぶん、元祖である。
そして創業以来メニューは
「そんなに変わってないですね」
と石橋さんは笑った。
「ただ」
と石橋さんは笑顔でつづけた。
「ハンバーグとカレーは別メニューだったのが、新しいことをやろうってことで、ハンバーグカレーが生まれたり、お客さんのリクエストでスパゲティとチキンカツのランチにカレーまでつけて野毛ランチなんてメニューが生まれたりして、案外ちょっとずつ変わってるんですよね」
いいなあ、融通無碍で、伝統なんかに縛られすぎない。
こういうところが、「江戸っ子は三代つづけて初めて名乗るけど、ハマっ子は三日で名乗ってかまわない」という横浜の、オープンなノリを感じさせるのである。
そんなエピソードを聞きながら、ナポリタンを運ぶ私の手は一向にとまらなかった。そして瞬く間に完食――満腹で取材を忘れかけている私に、岡戸さんは、不思議な言葉を口にした。
「新しいのは重いんですよ」
――フライパンがですか?
「包丁と一緒で使ううちにだんだん薄くなるんで、ちょっと軽くなるんです」
岡戸さんはさらに、すごいことを言って笑った。
「ある時、突然割れるんです。料理していると、なんか、パスタの間から火が見える、って」
それで気づいたのである。岡戸さんのフライパンの形の違和感の理由が。
――あ!そしたら、なんとなく、フツーとは違う気がしたんですが、それって?
「そうです、丸くないんですよ。正円じゃなくなってる。五徳にぶつけて、それぞれ自分なりのクセがついたフライパンに仕上がっていくんですよね。だから、ここにあるフライパンはどれもなんか、ちょっとだけ、フライパンが変な形になっているのはそのせいなんです。で、そのクセなりに、金属疲労していって、あるとき割れるんです」
聞けば、繁忙期は一日で300皿のナポリタンを拵えたこともあるという。鉄をも砕く、わけである。いやはや、ごちそうさま。いや、フライパン、ごくろうさま――。
「75年を迎えられたので、つぎはまずは100年目を目指すところですね」
そう語る、石橋さんが、ちらりと岡戸さんを見た。そのやりとりを見て安心した。さて、それまでに、一体いくつのフライパンが割れるのか――たのしみ、たのしみ。
文:加藤ジャンプ 写真:岡本 寿