はらぺこ本屋の新井
私の知らない夢の味

私の知らない夢の味

食いしん坊な新井さんにも、未知の美味はたくさんあります。たとえばバク星からやって来た、バクの少年の好物とか。

〈アイスクリームを舐める〉という表現があるが、どうもしっくりこない。アイスクリームへの渇望が全く感じられないのだ。

ハーゲンダッツアイスクリームの王様的美味しさに、「舐める」なんかではとても追いつかないだろう。悠長にペロペロしている場合ではない。かといって、口いっぱいに頬張って、バクバク食べたいわけでもない。アイスクリーム好きである私のイメージで言うと、それは「ごくごく飲む」に近いのだ。飲むように食べてしまうほど、止まらない。飲み物ではないのに〈○○は飲み物です〉という言い回しを見かけるが、それほど渇望してしまうという意味で〈飲み物〉と表現したくなるのだろう。

ところで私は『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』という映画が、狂うほど好きだ。当時子役だったキルスティン・ダンスト演じるヴァンパイアが、自分より大きな人間にかぶりつき、最初はコクコクと、そのうち、もうたまらんというように、ゴッキュゴッキュと、相手の致死量を超えて飲み干そうとする。私だって指を切った血くらい舐めたことがあるが、あれほどの渇望は感じられなかった。血を飲み物と思えない自分が残念である。

バクちゃん』は、バク星人の少年だ。彼の住む星にはもう、食べる夢が枯渇していた。バクとはいえ、初めて地球で食べたものはリンゴだったし、下宿先では、トーストも手巻き寿司も美味しそうに食べている。

だが、夢の美味しさは別格らしい。夢は何やら光り輝く粒のような形をしていた。他のものを食べても生きていけるのに、住み慣れた故郷を離れ、様々な困難にぶち当たりながらも、地球で移民として生きるほど、渇望している。私にとって、それほど特別な食べ物はない。

夢ってどんな味だろう。夢への夢が、私の中でいくら膨らんでも、やっぱりその夢の美味しさは、バクにしかわからないのだった。

今回の一冊 『バクちゃん』増村十七(KADOKAWA)
「ねぇ? 日本は、東京は、どう見える?」
第21回文化庁メディア芸術祭【新人賞】を受賞した著者が贈る、 移民バクちゃんの「すこし不思議」で「すこしリアル」なダイバーシティ物語。 夢が枯れた故郷から地球へやってきたバクちゃん。永住をめざし賢明に生きるバクちゃんの目にうつる東京は、わたしたち「みんな」の世界かも。

文:新井見枝香 イラスト:そで山かほ子

新井 見枝香

新井 見枝香 (書店員・エッセイスト)

1980年、東京生まれ下町(根岸)育ち。アルバイト時代を経て書店員となり(その前はアイスクリーム屋さんだった)、現在は東京・日比谷の「HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE」で本を売る。独自に設立した文学賞「新井賞」も今年で13回目。著書に『この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ』(秀和システム)、『本屋の新井』(講談社)など。