2020年7月号の第一特集のテーマは「元気になる肉料理」。石田さんも旅の途中で意気消沈することがあったときは、ガッツリ肉料理を食べて元気になったそうです。日本と違いアメリカでは、驚くほど安く肉にありつけます。そんな牛肉文化の国で頻繁に食べていた肉料理とは――。
『dancyu』2020年7月号の特集は肉料理レシピ。タイトルは「元気になる肉料理」だ。巻頭の編集長コラムには「少し疲れたな、と思ったときは肉を食べる」とあったが、僕もそう。
自転車世界一周という旅のなかで僕が最も落ち込んだのは、ペルーで強盗に身ぐるみはがされたときだが、次点が出発直後だった。空港で友人たちに盛大に見送られて笑顔で別れ、機内に入ってひとりになった途端、なんでこんなことを始めたんだ、と頭を抱えた。アラスカに着き、走り始めてからも、アメリカの地図を広げ、進んだ距離を見ては愕然とし、あと何年こんなことをやるんだ?と絶句した。毎晩のように友人たちが夢に現れ、目が覚めるとテントの天井が見える。アラスカの深い森にひとり。咳をしてもひとり。胸の奥が冷たくなる。そんな僕を支えてくれたのがステーキだった。
こと肉に関してはアラスカに来て初めてスーパーの売り場を見たときからテンションが上がった。当時のレートのせいもあるが、やはり牛肉文化なのだ。ステーキ用の牛肉が安い部位だと100gなんと約60円!200gのステーキが120円!サバ缶かよ!
天にも上る気分でタコ踊りをしながらその肉を買い、塩胡椒をして焼いて食べた。赤身肉だったせいか、ゴムみたいであまり味がしなかった。
次はひと手間かけた。焼く前にニンニクを大量にスライスして肉にのせ、フォークでザクザク刺してニンニクのエキスを肉に染み込ませ、しばらく寝かせる。そのあいだに玉ネギをスライスして飴色になるまで炒めておく。肉に塩胡椒をしてバターで焼き、最後に醤油をひとかけ、そのステーキを炒めた玉ネギの上にのせて完成。玉ネギの甘みにニンニクとバターのコク、醤油の香ばしさがステーキにからまり、震えるほどおいしくなった。
以来、町に着くたびに分厚い肉を買って“ニンニク醤油バターステーキ”をつくり、切るのも面倒なのでそのまま肉塊にかぶりついては口角から肉汁を垂らし、快楽に酔いしれた。自転車で異常なくらい腹が減ったあとにがっつくステーキには、何か人間性が壊されるような淫靡さがあった。
肉に執着した理由はもうひとつ、旅に出る直前まで資金捻出のためにサラリーマンをしながら徹底的に食費をきりつめていたからだ。タンパク質はもっぱら豆腐や卵からとった。安くて栄養価抜群のニラ玉は、あまりに多く食べすぎたせいで、いまでも居酒屋でそれを見ると当時の貧乏暮らしが頭をよぎり、なんだか辛くなる。
たまに買う肉は豚か鶏で、牛肉はどうしたって手の届かない高嶺の花だった。そんなものだからアメリカのスーパーで牛肉の値段を見たときはタコ踊りをし、狂ったようにステーキばかり食べたのだ。
ところで、アメリカに限らず海外では、肉はたいてい塊かぶつ切りかステーキ用、もしくは挽肉で売られている。日本で売り場面積が最も広い薄切り肉は海外ではほぼ見ないのだ(中国や東南アジアとかならありそうだけど、ないんだよなあ)。自炊料理の決定版、野菜炒めや肉じゃがをつくろうと思ったら、自分で肉塊をスライスしなければならず、それも手間なのでほぼ毎回ステーキにして食べていたのだった。
それにしても、日本でサラリーマンの安定収入を得ていた時代はニラ玉や冷奴ばかり食べていたのに、晴れて無収入になったとたんに分厚いビーフステーキばかり食べていたんだから、妙なものだ。
文:石田ゆうすけ 写真:坂田阿希子